通貨の意味
僕が好んでフォローしている方の
このnoteが的を得て、
僕が日々、くどくど考えている
「お金の考え方の前提」の違和感に
ぴったり当てはまって、
共感して、
コメント書くより、
もっと自由に、
このnoteから拡がった想いを
綴ってみたく思い、
自分のnoteに書くことにしました。
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この大分の山村に
移住して11年。
6年くらい前に、
同じくらいに移住してきた
活動的な方から誘われて、
手帳に記入するタイプの
地域通貨「ミケめぐり」という
取り組みを経験しました。
実験的な試みで、
使われたのは
何度か開かれた
縁日のような市場での取り組み
だったんだけど、
その場では、
「円」を使わずに、
「ミケ」という名前で、
100ミケ、1000ミケ
といった感じで使われた。
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市場では、
人々が
自由な値段で
自由に出店していた。
「円」を使わないから
営業許可とかも要らない。
(と思う)
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手帳に売った人も買った人も
収入と支出を記入していく。
通帳の元ミケはゼロ
だったと思う。
(いくらでも同じことなのだ)
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焼きそばとかカレー、ジビエ料理なんかを
提供する人がいる。
手作りの何かや、
リサイクル品を売る人がいる。
歌を歌う人がいる。
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手帳に「収入」「支出」の欄があって、
売った人は「収入」に500ミケ、
買った人は「支出」に500ミケ。
それでお互いにサインをする。
何も提供するものがなければ
支出ばかりが増え、
マイナスが膨れ上がる手帳に嘆く人もいた。
気持ちはわかる。
何もスキルを持っていない自分を
目の当たりにして
萎縮してしまう。
でも、考えれば
構造が理解できてくる。
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この、何も提供する物がなく、
支出ばかりする人のミケによって、
収入を増やす人がいるわけだ。
受け取る人がいなければ、
与える人の存在に
ミケの価値は付与されなくなる。
「誰かの赤字は誰かの黒字」
元々何もなかったところに
数字を発生させて、
状況証拠が創られる。
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若い女の子2人が
ギターを弾いて、
初めて人前で歌っていた。
どなたか僕ら世代(もうちょっと上かな?)の
娘さんだったりするのだろう。
緊張しながら人前で歌う初々しさと、
こんな田舎で若い人が
音楽を楽しんでいるなんて、
嬉しいのと応援の気持ちで
1000ミケくらいを
投げ銭した。
そんな人たちで、
彼女たちの前に行列が出来て
サイン会のようになっていた。
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並び、サインを交わし、
「がんばってね」と告げると、
なんだかどっと疲れた。
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僕には提供するものが何もなく、
マイナスばかりが膨らんだ。
カレーでも作るか?
卵焼きでも作るか?
通貨のやり取りがしやすく
価値を示しやすい、
ニーズがありそうなものを・・・。
それとも
「俺はもっと上手な音楽を
奏でられるんだぜ!」って、
僕も演奏して、
サイン会を開くか?
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だんだんと
この祭りから
足が遠のいていった。
コンビニでコーヒーを買って、
「円」を支出して
ホッとしてる。
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元々何もなかったところから、
価値の尺が創出された。
何かを提供したり
受け取ったりしなかったら、
何も生まれない。
このゲームを
楽しめるんなら
やればいい。
価値や意義を主張しなくたって、
僕らはその都度、
やるべきことを見出して、
それをやっている。
何で、この通貨の価値に
主権を握られちゃったりしているんだろう?
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結局、
このゲームのルール上、
数字の付け易い行為に数字を付け、
支払って当然と周知された習慣には
数字を払う。
理不尽なルール設定も
「民主主義」という
身分に関係なく、誰もが政治参加できる
と言われる、
お金があるけど身分に抑えられた人達が
起こした革命から始まった制度で
担保されている。
その数字の動きを楽しむことが
楽しみの主体になると、
僕らの「存在」という主体が
ただの駒になってしまう。
こんなゲームの
何が面白いんだろう?
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・・・なんて感想を持ったのが
僕だけじゃなかったのか、
この「ミケ市」という試みは
消えていった。
ノート付けるのが
めんどくさくなっちゃったんだよね。
でも、
大きな学びだった。
この「ミケ」が
「円」やら「ドル」に変わっても
同じことなんだ。
ただ、
抜けられないゲームの中にいる
ってことが違う。
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今、税金やら、規制やら、
「円」は使えば使うほど、
こちらには巡ってこない
「別の層の人」に
吸い上げられていっているような
実感がある。
僕の赤字が、
誰かの黒字になって、
そこからまた
僕のところへ巡ってくるような
実感はない。
「ミケ」でも「円」でも同じだが、
ルールに則った、
適切な手続きと主張をしなければ、
なかなか収入にはならない。
自分の支出は
そんなルールに則って出された請求により
粛々と行われる。
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歌っていた若い女の子は
たくさんの収入を得られるようになったら
その収入を支出して、
東京とかニューヨークを目指すのだろうか?
そして、もし
そこでさらに収入を得られたら、
どこへ支出し、
誰に収入を与えるのだろう?
田舎の片隅で暮らす
僕に返ってくるとは
考えにくい。
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仮に彼女たちの「ファン」となり、
支出に見合っただけの「サービス」を
受け取っていると実感出来る
と仮定しよう。
やっぱり
支出するためには
どこかで収入を得られなければならないルール。
赤字を無尽蔵には増やすことは
「駒(プレイヤー)」の僕には出来ないので
誰かの黒字をいただかなければならない。
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「誰かの黒字は誰かの赤字」。
今、もし、自分が
大きな収入を得られる立場を
ゲットしたなら、
その分、誰かの支出によって支えられていることを
自覚しなければならない。
「お金持ちに成れたら嬉しいよね」
と、
短絡的な会話をしている輩に、
このくどくどと長くなったnoteを
叩きつけてやりたい。
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多くのお金が入ってくる層に
拠点を築けた人達は
その立場を失わないことと、
その層より外へ流れ出ることを
極力抑え、適切な管理を施す。
これに尽力すると思う。
そして何より
この「マネーの権力」を
維持させることに意地になると想う。
誰もが通貨を通過する必要性を感じ、
信じていることが大前提の世の中で、
通貨を通じて治世を行う。
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代替案があるわけじゃないけど、
「そうじゃない世の中も有り得るんだ」
と、考え、
このかりそめの世で、
「自分」で感じた知覚を
頼りに歩んでいくと、
世界はそれなりに
変わっていけるんじゃないかな?
P.S.
過去の反省や、
近年、感じ始めた感覚が
やはり伝播しているのか、
また新たな存在意義を付して
「ミケ巡り」を復活させようかという
話を聞きます。
僕は「通貨」という認識より、
俗に言う「ポイント」。
ポイント支払いみたいな感じで
「円」を介在させないで
巡り、経世済民できたらいいんじゃないか?
なんて考えています。
でもきっと
いろんな博識者と協力しないと
難しいだろうな・・・。
仮にもしうまく回るようになっても
見過ごせない人達からの
圧力も凄そうだしな・・・。
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