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ひとりごと④~友人の暴言で自殺を決意、そして~

※業態や職種は故意にぼかしています。
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ひとりごと③の続きです

とのLINEのやり取りで私は疲労困憊し、全生命力を吸い取られてしまった。

過去に他の仕事で訳のわからないクレーム対応をした経験がある。
そういう疲れに似ていた。
話の通じない強気な相手に対応して心底疲弊する、あの感じ。

だが相手は赤の他人では無い。友人だ。

私のことをよく知った者が、「わざと」境界線を踏み荒らし心を踏みにじってきた。
「赤の他人からのクレーム対応」より余程こたえる。本当に疲れた。

その日はぐったりくたびれ果てて、電池が切れたようにそのまま昏々と寝こんだ。

翌朝。
Aの連絡先を全て削除し、ブロックした。
当たり前だ。

体力は多少回復したが、
切れてしまった心の電池は充電されなかった。


そして「自殺しよう」と決意した。


大げさだと捉える人もいるかもしれない。
「構ってちゃん発言しやがって」と思う人もいるかもしれない。

どう思われようがどうでもいい。

風前の灯火だった。

傷心の私に対しAが投げつけた言葉の刃の数々。

それは今まさに自殺しようか悩んでいる人間に対して
「お前なんか要らない人間だから早く自殺しろ!自殺しろよ!」
と言ってるのと全く同じだった。

弱っていた私にはそう聞こえた。

そもそも<問題①>の時から、命の選択はずっと頭の片隅にあった。
ネットでその「やり方」を検索した。

それぐらいメンタルがどん底まで落ちていたことをAは知っていながら、わざととどめを刺してきた。

別に霊的なものなど信じていないけど、Aの放つ言葉は「悪い言霊」のようだった。

「人を攻撃して傷つけてやろう」という強い強い言霊だ。
十分すぎる威力だった。

私はふらふらと家を出て、電車に乗り、どこかの駅のホームに行き、ボーっと立ち尽くし、また電車に乗り、あてもなくウロウロした。


さんざんあてもなくウロウロして、結局自殺は実行出来なかった。
今この文を書いているのだからそれはそうだ。

どこかの駅のホームで、先輩のDさんとEさんにLINEで連絡をした。
他に相談できる人がいなかった。
すがる思いだった。

昨日のAの暴走を、Aのことを知っている誰かに伝えたかったのだ。
Aさんにこんなことを言われて酷くショックを受けたんですと、なるべく平常心を装って伝えた。

絵文字などを駆使してできるだけ柔らかい言葉で伝えた。
悪態をつく気力が残っていなかったせいもある。
何よりこの期に及んでまだ現実を受け止めきれていなかった。

「何かの間違いかもしれない」「間違いであって欲しい」という感情があった。

比べるのも申し訳ないが犯罪被害を受けた方が最初は平然と気丈に振舞うのと同じ心理だと思う。


Dさん、Eさんからすぐに返信がきた。

すぐに返信がきたこと、これが私の命を繋いだ。

返ってきた言葉は後から思えば引っかかる内容(「Aに悪気はなかった」とか)で、それが後々尾を引くことになるのだが、
思考力を失っている私にとっては言葉をかけてもらえただけでありがたかった。

奈落に落っこちる直前に、服の裾をつまんで引っ張ってもらったような感じだ。

言葉をかけてもらったことで、少し気持ちが落ち着いた。

その後の心情変化や動線の詳細はよく覚えていない。
どこかの駅で降り、素敵な喫茶店に行き、コーヒーを飲んで何もなかったかのように家に帰った。


自殺を思いとどまれた他の理由としては、家族のことがよぎったのが大きい。

そして鬱を体験したことのある方はご存知かと思うが、
本気で落ち込んでいる時は何かを決行する力すら無いのだ。

「生きる力も無いが死ぬ力も無い」
という状態だ。

しかしこの出来事の後も、「死」は常に頭にあった。希死念慮というやつだ。

「死にたいかも」「ダメだ」「死にたい」「家族が悲しむ」
何度も自問自答を繰り返した。
「あっ今日死ねるかも」
まるで良いことを考えたように突然パッと思いつく。

正直この現象は未だに時々ある。

一番のストッパーとなっているのはもちろん家族の存在だが、
「私が死んでもAはしらばっくれて逃げるだけだ」という意地もあった。

私とAのやりとりは誰も知らない。DさんとEさんには概要しか伝えてない。
恐ろしいLINEもブロックし、連絡先も削除してしまった。
私が消えてもAがとぼければ終わってしまう。
邪魔な私が消えたらAは喜んでしまうかもしれない。
絶対そんなことはさせない。

ギリギリのところで自分の中の根性が思いとどまらせてくれた。

そうやってやり過ごしているうちに、次第に身体のほうが心より先に回復していった。
だが心が落ちているのに身体が元気になったこの時期が一番危険と言われている。

どうしても思いつめることはあるが、なるべく死のことは意識しないように注意しながら過ごした。


しばらく後になって、モラハラ精神的DVに関する文献を読んだ。

どうやら世の中には「怒っている弱者に対して腹を立てる人間」というのがいるらしい。
どんなに弱者の怒りが正当であっても腹立たしく感じるらしい。

その説になぞらえてみる。

私はBの能天気さやCのふがいなさ、彼らを管理してくれない会社に対し、すごく怒っていた。
深く傷つくと同時にものすごく怒っていた。

その「怒っている私」の様子が、にとっては腹立たしかったのだろう。
「怒るなんてナマイキだ」
そして
「怒ったらアタシのほうがお前より怖いんだから!」と、
自分の優位を知らしめるために酷い暴言を次々に吐いた、と取れる。

怒っている私が強い言葉を使うと、ムキになってさらに強い言葉で押さえつけようとしているように思えた。

なるほど。怒りのマウントだ。

モラハラ人間にそういう心理が存在するのはなんとなく理解する。
いつも異常に負けず嫌いで勝ち負けにこだわるAに当てはまる。

・・・・アホか。

それ以前に、私は十分傷ついてボロボロだった。
私の怒りの原因のほうはどうでもいいのか。
くだらない競争意識でさらに傷つけてくる人間なんて絶対に友達ではない。

「その場の勢いでつい言ってしまった」など何の言い訳にもならない。


身体の調子が整いだすと、ショックで真っ白になっていた脳みそも少しずつクリアになっていった。

頭がはっきりしてくると、今度はまた強烈な怒りの感情が増幅してくる。
処理しきれなかった感情を整理させてみると、
一番大きいのはやはり「強い怒り」だ。

私の怒りは結局誰にぶつければいいのか。

罵詈雑言を吐いて人を侮辱したAか。
問題起こして能天気にヘラヘラしているBか。
そんなBを止めなかった役立たずのCか。
なんにも対応してくれない社長か。

私はどこに怒ればいいのか。
4つの対象に均一に怒るなど、そんな器用な真似はできない。体力も無い。
完全に怒りの感情が自分のキャパシティを超えてしまっていた。

怒りに順位などつけられないが、
一番先に頭に浮かぶのはやはりAだ。

BやCと違って仕事や会社のことを考えて介入してきたわけではない。
Aの望みは私を辞めさせること、それだけだった。
野次馬根性で首を突っ込み、悪意で罵詈雑言を吐いた。

何回思い返しても、Aのエピソードは明らかに不要だ。
本当にただ余計な問題を増やしただけ。

それにBやCはすぐに謝ってくれた。
例え形だけだろうと内心理解してなかろうと、誠実さを見せてくれた。
この違いは大きい。

Aから謝罪の言葉など無い。
それどころか音沙汰が無い。
勝手に言いたいことだけ言ってサッサと逃げた。

私がAの連絡先を全削除しブロックするのは当然だ。
「もしかしたら謝ってくるかもしれない」などと、淡い期待で扉を開けておくほどお人好しではない。
扉を開けていたらまた言葉のナイフで傷つけられるかもしれない。

しかし私がブロックしていることは「Aが謝罪をしない理由」にはならない。
人づてに伝えることぐらいはできたはずだ。

やらないのは、その意思が無いからだろう。

こちらから謝罪の要求はしていない。するつもりもない。
悪いと思ってない者に謝られても意味が無いからだ。

私にとってAは「ちょっとクセの強い同期の友人」から
「人を自殺寸前まで追い込んで逃げた卑怯な人間」に変わった。


普段の私は平穏を好む呑気で穏やかな性格だった。
そんな人間にとっては、「怒り」という強い感情を抱え続けることがもの凄く辛い。
それだけですごく疲れる。

自分の怒りを鎮めないとそのうち憤死してしまうと思った。血管が切れそうだった。
自律神経もおかしかった。
精神状態は限界を越え、今までに無いおかしな症状が出るようになった。

心療内科で相談し、カウンセリングを受けた。
精神や心理学に関する本も読んだ。


体力をつけたり心を落ち着かせるためにすごく努力をした。
数か月ほど経つ頃にはだんだんと日常を取り戻すことができた。

もちろん以前の状態に戻ったわけではない。

問題が起きて以降、
会社やAやBのことを想起させる要素(場所や人など)からは目を背けていた。
完全にトラウマだ。今も避けている。

電車で会社の最寄り駅を通過する時は息苦しくなる。
嫌な記憶がフラッシュバックすることは頻繁にある。
だが深呼吸をし、心の線引きをするように努力している。


物事を少し引いた目線で見るようにした。
ずっと真っ暗などん底にいた気がしたけど、
世界には楽しいことがまだまだたくさんあることを思い出した。

忙しくて読めていなかった本をたくさん読んだ。
好きな映画をたくさん観た。
興味があってもなかなか出来なかったことに着手した。
自分の時間をなるべく楽しいことに費やした。

今まで「大好きだったはずの仕事」に使っていた脳のリソースが、
大好きだった仕事を失ったことで大きく容量が空いた

そのぽっかり空いた広いスペースに、新しい情報が一気になだれこんできた。
元々多趣味だった私に、新しい趣味がさらにたくさん出来た。

「広くて楽しい世界」があることで救われた。


そして、自分のことを本当に大切に思ってくれる人の存在を意識するようにした。
このまま怒り狂っていては、大切な人に優しくできなくなると思ったから。

「大切にするべき人」と「そうでない人」
人間の選別をしよう、と決めた。

人のマイナスエネルギーは強烈だ。
嫌な奴の事ばかり考えるとどす黒い感情に取り込まれてしまう。

人を雑に扱う人間
人の足を引っ張る人間
人を軽んじる人間
人が大変な時に己の保身しか考えない人間
そういう人間の肩を持つ人間

これからは我慢したり聞き流したりなどせず、そんな連中からは容赦なく距離を置こうと決意した。

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職場を追いやられた経緯 突き落とされ打ちのめされて大好きな仕事ができなくなってから回復に至るまで/※場合によって一部制限公開or非公開に…

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