20240428 『離見の見』相互補完システムの構築
「いいか、俺たちは今回『離見の見』相互補完システムを構築するんだ!」という話を、今回の創作の初日にみんなで集まった日にした。「離見の見」というのは言わずと知れた世阿弥の『風姿花伝』に書かれた能の奥義で、能に限らず舞台に立つ者なら誰しも手に入れたい究極の精神状態だといえる。
▼客席から、舞台の上の自分を見つめるような感覚のことなのだととりあえずは理解してもらえればよいと思う。己の主観から遠く離れて、舞台に立つ自分のことを客観視する。鏡がなければ見えないはずの自分の体を自分で見つめるというのは、やってみると結構大変なことである。
▼思っている以上に自分の体というのはままならない。思ったように動いてはくれないし、どれだけ意識下に置いているつもりでも舞台写真や映像で見てみたら「なんか思ってたのと全然ちがう!」ということもままある。人から言われた通りに動くことができる、というのは実はものすごい能力で、結構な人たちが言われた通りどころか自分が思っているように自分の体を動かすということが、実はできなかったりする。
▼今回は私は一応「構成・演出」ということもしながら俳優としても出演するので、そういう事情もあって俳優同士で互いに互いの状態をよく観察して、俳優としてよりよい状態やポジションを探すのに互いに協力して見合おう、というのが「『離見の見』相互補完システムの構築」ということばの意味だった。
▼今回けっこう面白いな、と思っているのは稽古場の記録映像である。元々はクリエイションの透明性の確保やハラスメントを根絶することを旨とし、「30年後の人たちに見せても恥ずかしくない稽古場を」ということで映像と文書でリハーサルの記録を取っているのだけれど、自分たちの稽古を見てみると結構たくさんの発見がある。自分自身が演出する時に俳優に対してどういう言葉を使っているのか、どういう風に喋りかけているのか、誰にどれくらい声をかけているのか、誰の言葉にきちんと返事できていないのか。
▼映像で見る稽古場は、自分が主観的に体験していたはずの稽古場とはまるでちがって見える。どういう言葉が俳優をより有機的に動かして、どういう振る舞いが俳優や稽古場にエネルギーを与えるのか、ということが客観的によくわかる。普段は俳優として他の稽古場の演出を見ながら「もっとこうしたらいいのに…」と思ったりすることがあるけれども、それが丸々自分に対して起こる。完全にまぐれだが、映像で私は演出としての『離見の見』を手に入れつつある。おそらく俳優もそうだと思う。これは稽古が上手くなる…!そんなこんなで、稽古場を記録することはかなりお互いのためになるから、試せる人はぜひ試してみて欲しいと思う。
*****
◆本日もご清覧頂きありがとうございます。もしなにかしら興味深く感じていただけたら、ハートをタップして頂けると毎日書き続けるはげみになります!
◆私が主宰する劇団、平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co . では向こう10年の目標を支えて頂くためのメンバーシップ「かえるのおたま」(月額500円)をはじめました。
メンバーシップ限定のコンテンツも多数お届け予定です。ワンコインでぜひ、新宿から世界へと繋がる私たちの演劇活動を応援していただければ幸いです。
→詳しくはこちらから。https://note.com/hiraoyogihonten/n/n04f50b3d02ce
◆コメント欄も開放しています。気になることやご感想、ご質問などありましたらお気軽にコメント頂けると、とても励みになります。どうぞご自由にご利用ください。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?