向こう10年間の計画に向けて、平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co.の活動をサポートしていただくための、日々の活動報告です。 毎日の連載と、不定期の活動報告などをお届けします。 舞台芸術、演劇や文化に関心のある方にご参加頂ければ幸いです。
平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co. の向こう10年の目標である 1. 未だ誰も想像しない場所での野外劇の遂行 2. 海外公演の実施 3. 創造の拠点となるアトリエ(稽古場/劇場)の建設 に向け、毎日の連載と、日々の活動報告をお届けします。
平泳ぎ本店 H i r a o y o g i C o .
主宰による毎日の連載です。
蛙読天 2024年11月 Novemberの記事のまとめです。
蛙読天 2024年12月 Decemberの記事のまとめです。
平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co.として2024年からいよいよ、これから10年間の目標に向けてより具体的な活動を充実させていくことができればと考えるようになりました。 1.【10年間の活動目標】 2.【「かえるのおたま」をはじめます。】 1.【10年間の活動目標】 平泳ぎ本店/Hiraoyogi Co.は2015年より東京で演劇活動をつづけて来ましたが、いろいろな場所でのさまざまな出会いを経て、これからの10年間で三つのことを叶えたいとはっきり考えるようになりました
先代の幸四郎、現・松本白鸚さんがおっしゃったとされる「役者だからってなんでもやる必要はないが、やれと言われたらなんでもできなくてはだめ」という言葉が大好きで、折に触れて思い出している。歌舞伎俳優としてミュージカルに挑戦するなど進取の気風に溢れた俳優さんの言葉だからこそ、そのプロ意識の滲んだこの言葉がなんだか尊いような気がするのだった。 ▼私のような末端の俳優でもたまに、ギャラをもらう仕事として(ちょっと)変わった案件がたまに知り合いづてに降ってくることがあって、そういう時に
舞台を観ているときに、客席後方の席だとしばしばその舞台の演出家と居合わせることがある。メモとペンや、最近だとiPadを持ちながらしずかにノート(次回の上演までに修正すべき点)を取っていたりするので割とすぐわかる。 ▼みんな自らが演出した作品をどんな気持ちで観ているのかな、とすこし気になって聞き耳を立ててみると、割とどんな作品でも笑って楽しそうに観ていたりする。それがどんな難解な作品であれ、リハーサルの段階から何度も観てきて、本番の客席でもなおおもしろいのだから大したものだ、
あるときちびっこの演劇の発表会のお手伝いをしていたことがあった。普段の大人同士の演劇のリハーサルならば、本番が近くなると通し稽古がメインとなって何度となく同じことを繰り返しながら微調整、という感じになるけれども子どもたちは同じことを繰り返すことの意味があまりわからなくて飽きてしまう。 ▼「どうやったら毎回新鮮に楽しくリハーサルができるのだろう」と考えながら、いろいろと工夫しながらなんとか本番を迎えた。普段の教室とはちがう、ホールの控え室で準備をしているとき、いつもと違う環境
学生の頃、一年生から二年生へと進級するときに進路の振り分けがあって、希望のコースに進むためにはそれなりの成績が必要になった。成績が下位のものは不人気学科(東洋哲学とか)に進まざるを得ず、そうなると授業に行かなくなって留年や退学ということもありうるぞ、と思って怖くなり、一年生の秋頃ににわかに勉強をし始めた。 ▼一年生の夏頃まではうっかり体育会に入ってしまったことで、それまでの授業はかなりいい加減に受けていた。大学というのは不思議なところで学部の授業と体育会の活動とがしっかりバ
そんなにある機会ではないけれどたまに話の流れで「好きな俳優は誰ですか?」と聞かれて、うまく答えられなくてうーん、と思ってしまうことがある。演劇なんてやっていてパッと答えられないのもなんなので、あらためてどんな俳優が好きなんだろうと考えてみたりした。 ▼いちばん好きな俳優は渥美清さんだろうなぁ、と思う。通っていた養成所から卒業するかしないか、という時期になんとなしに『男はつらいよ』を全作品観たことがあった。48作もあるので一つの役、キャラクターと俳優自身がどう付き合っていった
演劇の台本、戯曲をまとめて何本か読んでいると、ページを開いたときにすでにその言葉の配置やレイアウトによってその作品の表情みたいなものが見えてくる感じがする。ページのなかにいかに言葉を配置するか。そうして余白がいかに美しく保たれているか、というのがそこで語られているものごとの内容以上にとても大切に思えてきたりもするから不思議だなぁ、と思う。 ▼好きな台詞というのは洋の東西を問わずにいくつもあるけれど、好きなト書きというのはひとつしかない。チェーホフとかでたまに出てくる「舞台空
https://scjcatalog.johnson.co.jp/products/shut_brush.html いきなりなんのこっちゃ、という話だけれどもこの「流せるトイレブラシ」というのを愛用している。自分の中ではトイレ掃除の決定版、という感じがしていてとても重宝していて、メーカーが何かの拍子に廃盤にしない限りはずっとこれを使い続けたいなぁ、と思うくらいには愛用している。 ▼不思議なもので、この掃除用具に出会うまではまあ普通にブラシとトイレ用の洗剤で掃除をしていたの
物事に対してハスに構えている、ハスっているという言葉がある。思えば自分自身もまた演劇に対してハスっているよな、と思うことがある。俳優や劇作家、演出家なんかの中には高校演劇から(もっと早いと中学や、あるいは子役から)演劇をスタートしている人もたくさんいる中で、自分自身は本格的に始めたのは大学を卒業してからだった。 ▼そうして実際に自分が演劇を始めてみる前に、元はと言えばお笑いの方が好きだったり、学部で研究の方から演劇に入射してしまったり、急に現代演劇の極北みたいなところに(半
学生の頃にせっかく時間があるので本を読まなければ、と思ってちょっと考えて、とあるひとりの作家の本を片っ端から文庫や単行本で買って読んでいた。本、ということでいうと学生の頃に、同期の人たちが当たり前のように漱石の『草枕』を題材に難しそうな議論をしているのを横目で見て、冷や汗を書きながら文庫本で『草枕』を買って読んだのもいい思い出だったりする。 ▼「やばい、話についていけないぞ」と思ってすこし背伸びをしたり、知らなくても「ああ、みんなこういう本を読んでいるんだな」と思って後で図
ふだん小劇場の界隈でうごうごしているとあまり実感することができないが、たまに商業演劇にアンサンブルなどで呼ばれて行ってみるとシンプルにその好待遇にびっくりすることがある。大リーグで、マイナー契約の選手がいきなりメジャーに呼ばれて「二度とマイナーには戻りたくない」と思ってがんばる、みたいな感じで、たしかに商業演劇はたとえ末端の俳優であっても待遇がしっかりしている。 ▼ケータリングが充実(お菓子も飲み物の種類が豊富できちんと入れ替わる)しているだとか、お弁当のレベルが極めて高い
朝が来て、ベッドのなかで目を開けると目の前に母がいて「おじいちゃんがね、死んじゃったの」と言った。一緒に暮らしていた祖父はその前の晩、お風呂場で亡くなってしまった。ベッドのなかで私が目を覚ますのを隣で待っていた、母の表情を今でもよく覚えている。 ▼どうやら昨夜大きな地震があったらしいと、大人たちが話しているのを聞いた。母から「明け方、寝ていたときにすこし揺れたの、覚えてる?」と言われて私は覚えていなかった。ニュースで大きな道路が倒れ、火事が起きているのを見た。 ▼テレビや
アルバイトやなんかでいろいろな場所で働いてみる中で、基本的に大きな窓があって、外の光がよく見える場所の方が自分のパフォーマンスが高くなるということに気がついた。外の光が入ってこない場所だとなかなか時間感覚というか1日の感覚がつかめずに、なんだかどんどん塞ぎ込んでしまうような気がしてよくない。 ▼大きな窓があって、朝一番に換気をしながら掃除をして、温かい(夏は冷たい)コーヒーを飲みながら必要最低限の荷物で部屋の中のスペースを大きく保ち、事務作業もできるしその気になればストレッ
とあるアーティストの2005年のライブの映像を繰り返し繰り返し見ている。こういう時にYouTubeはありがたいもので、いつだって気になるアーティストのことを調べれば彼らに関連した動画がちゃんと出てきてくれる。 ▼2005年というと自分は高校生になったばかりの頃で、今こうしてスマホで無限ループにして見ているライブを現地まで直接見に行こう、なんて考えもしなかった。当時はネットもそんなに発達していなかったし、地方にいるとなかなかうまいこと情報にもアクセスできず、思っていたよりもは
かつて本当にお金がなかったとき(今もないけど)、井上ひさしさんの劇団であるこまつ座のお手伝いのアルバイトをして、コツコツと貯めたお金で同期の結婚式のお祝儀を捻出したことがあった。 ▼コロナでたぶんいろいろ変わってしまったのだろうとは思うものの、以前のこまつ座だと劇場のロビーでチケットをもぎったり、物販をしたりお客さんを案内したりするのは基本的にはアルバイトのお手伝いさんたちで賄われていた。こまつ座の社員さんも何人かはいるものの、基本的には歴の長いお手伝いさんみたいな人たちが
Instagramで”Vote blue”というストーリーをいくつか見かけてすこし前向きな気持ちになってみたあとで、どうやらトランプ氏が勝ったらしい、というのを(イーロン・マスクの!)Xで見つけてしょんぼりするというのも馬鹿馬鹿しいというか何というか、やるせない気持ちになるのだった。 ▼自分が生まれる時代は選べないし、世界がどうであれ、そこに分断があるのだとしてもどうにかもうちょっとマシな現実を思い描きながら与えられた場所で頑張っていくよりほかない。気が遠くなるような話だけ