見出し画像

ほんとうの自分 ー最近の読書から

最近立て続けに「子どもの頃の自分に読ませたい」と思う、素晴らしい本を手に取る機会がありました。長らくそっとしていた(放っておいた…ともいう)noteですが久しぶりに、その一冊の感想を記してみたいと思います。

シャロン・M・ドレイパー作、横山和江訳『キャラメル色のわたし』(鈴木出版)

黒人のパパ、白人のママを親に持つ11歳のイザベラ。離婚した両親が「共同親権」を保有するため、週替わりで双方を行き来する生活を送っています。イザベラは「今は、家がある実感がない。自分の家じゃなく、パパの家に泊まっている感じ。ママの家も同じ。『家に帰る』とは、ぜったいにいわない」(P64)と言います。

その言葉は、彼女のアイデンティティの定まらなさを表しているようでもあります。黒人と白人のハーフのイザベラは両親を通じて、さらに周りからかけられる言葉や目線を受けて、自身が黒人なのか白人なのか、はたまた「ほんとうの自分」とは何なのか考えています。

ある日学校で、親友のイマーニに人種差別的な事件が起こります。

さらに物語終盤、イザベラの身にとんでもない出来事が降りかかってーー。

この物語に出てくる大人たちは、誰もが過ちを冒します。白人の母親は、肌の色が濃いイザベラの気持ちを真に理解することはできません。父親も感情に任せて、大事な娘の気持ちを傷つけてしまいます。大人であっても完璧な人はいない……それはこの世の真実のように思います。

だけどイザベラはいつも真っ直ぐ。くじけそうになっても、分かり合えないとあきらめることなく、愛の力を信じています。争いごとの解決の鍵は、愛でさえあるともーー。

その愛は、他ならぬ両親から受け取ったもの。また素晴らしい友だちや先生や、イザベラを取り巻くすべての人からの贈り物であることが、物語を通じて丁寧に描かれています。

人は人に生かされている。失敗しても赦し合い補い合って生きている。本書を読み終え「ほんとうのイザベラ」とは、多くの人の愛の形なのかなと感じました。

世界には想像もつかぬような苦しみを抱えながら、日々を過ごしている子どももいることでしょう。自身がイザベラと悩みを共有していなくても、隣の席の友だちが、似た思いを抱えているかもしれません。

他人を知ることこそ、ほんとうの私を知ることかもしれないーー11歳のイザベラが語りかけているような訳文に、大人の私は何度もハッとさせられました。

今という時代を生きるあらゆる人におすすめしたいです。

最後にイザベラの言葉をーー
「人にやさしくすることのほうが難しいです。ときには、ものすごくたいへんです。でも状況をよくする方法を見つけなきゃいけないと思うんです。だれも傷つかないように」(P102)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集