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ネットで世界中のレシピが見られるようになったのに、なぜ世界の料理文化が、一番おいしい国の食文化に置き換えられないのか?

この疑問に対する、ひとつの答えに出会えました。

海外で食べて「すっごくおいしい!」と感激したものを日本に帰って食べても、現地で食べたときとは味が違うんですよね。

令和7年1月1日「朝日新聞」記事より

私は7年前、新婚旅行でオーストラリアを訪れました。1週間の旅行中、3軒ほど、奮発していいところのレストランに入ったのですが…味は正直イマイチでした。(筋張った固いお肉が出された記憶があります)
むしろ、それらレストランの料理より、ケアンズの繁華街で食べたナシゴレンや、日本に帰って来てから食べた吉野家の牛丼の方がはるかに美味しかったのでした。

料理を「作る側」になって思ったこと

現在、私は家で料理担当をしています。一時期、外国の料理を作ることにはまって、ヨーロッパや南米、東南アジアの料理を作りました。
そのとき、身をもってわかったこと、それは…「醤油」と「味噌」がある日本食文化のすばらしさです。

また、鰹節、昆布、干しシイタケ、煮干しなどからとるダシも、料理の味に奥深さをもたらしてくれます。

海外からの観光客や海外の著名人が、日本食の美味しさに感動して以後、何度も来日するなんて話はよく聞きます。

そこで、生まれた疑問が「なぜ、日本食が世界中の家庭料理の中まで浸透しないのか。」というものでした。

たしかに、大豆の栽培ができない地域や、鰹節や昆布が取れない内陸の国もあります。しかし、これだけ物流が発達した現代において、地球の裏側からでも食材を安く輸入することができるはずです。
#ニンニクは、国産よりもスペイン産の方が安い
#たけのこも、国産よりも中国産の方が安い

また、ネットも発達して、世界各地のレシピを検索することもできます。
それなに、なぜ?
新聞記事を読んで、やっと理由がわかりました。
食文化とは、その土地で食事をする人々が見る景色や、感じ取る気候によっても作られているのです。

たしかに、イタリアのレンガ造りの街では、天ぷらそばよりもパスタを食べる方がしっくりくるでしょう。

南米の、青や赤や黄色の外壁でカラフルな町々では、焼き鮭に納豆、味噌汁の定食よりも、ニンニクやトマトを入れて煮込んだチリコンカンの方がしっくりくるでしょう。

「文化」とは簡単に作れない。簡単に無くならないもの。

どんなに美味しい外国の料理でも、心から美味しいと思うには、その国を訪れる。あるいは料理に似合う外観や内装をこしらえた、レストランに入らなければならないというわけです。

外国の料理が、家庭料理レベルまで、食文化として入り込むには、いくつもの条件が整わないといけないのですね。そのことを気付かせてくれたイモトさんの記事でした。

しかし、その意味で言えば、たくさんの外国の食文化をアレンジして取り入れている日本という国はすごいなと思います。

ラーメンには、醤油味、味噌味があります。ハンバーガーだって、照り焼きバーガーという醤油ベースの味付けがラインナップに入っています。

食以外でも、クリスマス、ハロウィンなど海外の宗教的な文化もすんなりと受け入れ、かつ独自に発展させています。
結婚式には神父を、お葬式ではお坊さんを呼ぶなんていうのも日本のすごさだと思います。

そういった文脈で考えると、日本は必ずしも「保守的・閉鎖的」とは言い切れません。ウエルカムな気質も持ち合わせた国とも言えるのではないでしょうか。

教育の現場も、前例踏襲ばかりせず、新しいモノを受け入れて試して、日本独自のアレンジを加えて進化させちゃうすごいポテンシャルが秘められているのではないかと思います。


おまけ 醤油はなぜおいしいのか?


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