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美の4象限 美しさを考える

デザイナーは美を提供することが一つの役割でしょう。
では、その美、美しさとはなんでしょうか。
ある人は美しいと言うが、別の人はそうではない。絶対的な美しさは存在するのでしょうか。
美を追い詰める手がかりになると考えた要素が、「所在」と「基準」です。それらについて考えてみましょう。

美しさの所在

まず、所在について。
美しさがあるのは、以下の二つのいずれかではないでしょうか。

・ある対象が持つ性質である
・ある対象を捉える人が得る感覚である

性質であれば、その対象に美を宿らせることができます。美はその対象で完結できる、ということです。

感覚であれば、美はある対象だけで完結しません。「関係」があってはじめて存在できるのです。感じる人自体の感性の変化、向きあう対象にどんな印象を抱くかがポイントになります。

美しさの基準

続いて、基準について。
美しさは、以下の二つのいずれかではないでしょうか。

・ヒトが生得的に感じる美しさ
・社会の価値観が決めた美しさ

生得的であれば、人間の生存に重要なものを美しいと感じるように、ヒトができているということです。
例えば、食べ物。新鮮さを表す色、肌理、張りなどは栄養素の摂取において重要な記号です。そのため、これらの記号を人間は本質的に求めます。つまり、記号を示す対象を美しいものとして感じるのです。
もちろん、食べ物に限ったことではありません。楽しさや落ち着きを提供するものなど、ヒトにとって重要な要素をヒトは美しいと感じるようにできているのです。

社会の価値観であれば、社会が美しいと広めているものが美しいものである、ということです。
いつから広まっているか定かではありませんが「努力すること」は美しい、ある時代にある場所で権力者が美しいと宣言した「労働」、これらが社会の価値観による美しいものの例です。

どちらかの基準に属するのではなく、両方を満たしている例もあります。
権力者が美しいと言った「労働」を目にしたとき、その権力者の言葉とは全く切り離した上で、それを生きる糧と直接的に結びついて理解できた、その活動自体に充足感があり生きる喜びとして感じられた、などが有り得るはずです。

美しさの4象限

いかがでしょうか。
掴みどころのなかった美が、手を伸ばせるくらいになってきたのではないでしょうか。
しかし、私たちがここまで見てきた美は一つの概念で定義できるものでしょうか。難しいのではないでしょうか。
ここまでの内容を表にしてみました。

美の四象限

この表では、美を4つに分けています。それぞれの特徴をみてみましょう。

A.美は性質であり、生得的なものだ。
このエリアは、ヒトにとっての絶対的な美があることを示唆しています。私たちが美しいと感じる対象には、そのもの自体に絶対的で普遍的な美の要素が備わっている、と理解できます。
B.美は感覚であり、生得的なものだ。
このエリアは、ヒトにとって絶対的な美はあるが、感じる側が見出すものなのだ、と理解できます。自分自身を美しくしたいと考える人にとっては、AとBでは大きな違いがあるでしょう。自分の努力ではどうにもならないのがBなのですから。
C.美は性質であり、社会の価値観によるものだ。
このエリアは、興味深い美の像を描き出します。美はその人に備わる要素であるが、それが美しいかどうかは社会が決める、という解釈になります。例えば、太郎さんが美しいかは、太郎さんによらず、その属する社会の価値観によって決まるということです。
D.美は感覚であり、社会の価値観によるものだ。
このエリアは、美を非常に相対的なものとして捉えています。何を美しいとするかは社会が決める上に、それを感じる対象に美を丸投げしている状態と言えるからです。

最後に

この短い考察では、何か結論を出すことはできません。しかし、美しさについての意見が誰かと異なるとき、どのような観点で話しているのか前提を明らかにすれば、お互いを理解した上で、歩み寄れるのではないでしょうか。

もちろん、この話は「美しさ」に限ったことではないですよね。

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