スイスで介護ヘルパー!その25「山姥に見えたケラーさんが、やがて...第五話」#入居者さんの思い出
(第四話からの続き)
エミリアが見せてくれたこと
そんな、ある日の午後。エミリアという子が、シュヌッパー(トライアル制度。フーバーさんの章を参照)にやって来た。
エミリアは退屈しているケラーさんを呼ぶと、リクレーションの棚から直径20センチほどのボールを持ってきて、ケラーさんとキャッチボールを始めたのだ。ゆっくり、慎重に相手に向かって投げ、受け取ってはまた投げ返す。ただそれだけだが、驚いたことにケラーさんは、それを上手にやっていた。時々ボールを受け取りそこねて落としてしまうことはあっても、エミリアがさっと拾ってきて、また続けるのだった。
エミリアはニコニコ笑いながら、「はいっ、ケラーさん、行くわよっ!」「ケラーさん、しっかり!」「すごい、ケラーさん、お上手!」などと声をかけていた。
その間ケラーさんは、何度か笑顔らしきものを見せていたのだ。その場にいた人はみんな、私も含め、かなり驚いた。
それまでのケラーさんは、車椅子でうろうろすることはあっても、テレビを見たり誰かと話したりゲームをしたりといった活動を、一切したことがなかったのだ。私たちが何かに誘っても反応がないし、参加できないので、つい誘うのを忘れてしまっていた。
でも考えてみれば、ケラーさんにもできることはあったのだ。それをエミリアが見せてくれて、ほとんど目から鱗だった。ああ、その手があったか!それ以来、私はエミリアの真似をして、時折ケラーさんとボール遊びをするようになった。
体力消耗のボール遊び
もともと、ボール遊びはレク担当の女性がやっていた。入居者さんを、多いときで10人ほど集めて、テーブルを囲んで座ったり、ぐるりと輪になって座ったり。時には風船、時には小さ目のよくはねるボール、時にはまりのようなボールを、投げ合ったり、足で蹴り合ったりしていたのだ。
が、私はまさかケラーさんがそれをできるとは思っていなかったのだ。他のみんなもそうだと思う(ただし後日談がある。エミリアは入社後、やる気をなくしてしまった。ここの労働条件に不満があり、文句ばかり言っているし、よく病欠している)。
ボール遊びは、やってみるとわかるのだが、かなり体力がいる。入居者のみなさんは、自由に動けまわれないか、もしくは車椅子の方ばかり。つまり、ボールがどこかへ飛んでいったら、私が拾ってくるしかないのである。これが相当つらい。球拾いは、それだけに専念していられるならいいが、私はその前後に介護の仕事もしているのである。50代後半の私は、ボール遊びを一度やってしまうと、その後は立ち上がれないほどの体力消耗だ。終業時間まで、まだ何時間もあるのに。
ああ、それなのに。ボール遊びは、実はなかなかの人気なんですね。ふだんはつまらなそうにテレビを見ているおじいさんが、ボール遊びとなると急にイキイキして、昔取った杵柄とばかりにヘディングを披露してくれたりする。新聞を読んでいるだけだったおじいさんも、実はまだまだ反射神経がよかったりする。おばあさんが、「ボールは、渡さないわよ!」とか言って笑わせてくれたりもする。私がくたくたになっても、やる価値はあるのだ。毎回は無理だけど。
言葉なしのふれあい
そんなわけで、時々ケラーさんとボール遊びをするようになった私は、少しずつケラーさんに認知されるようになっていったと思う。
というのは、ボール遊びのほかに、ケラーさんの右手を握ったまま、左手で車椅子を押して、その辺を歩き回る、ということも始めたのである。何も言わず、ただその辺をぐるぐる回るだけ。それでも手を握っているだけで安心するらしい。
以来、ちょくちょく私のところに来ては、手を取って、ねだるような表情をするようになった。
やがて、お世話中にも変化がおとずれた。
朝、私がベッドで寝ているケラーさんを覗きこむと、機嫌のよい日は、なんと私の頬をなでてくれるようになったのである。または、夜寝る前。おやすみなさいを言った私の目をじっと見て、布団から手を伸ばし、私の頬を上から下へとさする。何も言わずに。
そんな日は、お世話もスムーズにいくようになっていった。
それなのに。ほどなくして、ケラーさんは亡くなった。
エレベーター前に飾られた遺影は、ショートカットのケラーさんが、こちらを向いて明るく微笑んでいた。
その後は、ケラーさんのような入居者さんにまだ出会っていない。もしまた山姥のような方がいらしたとしても、もう驚かず、今度はもっとうまくやれる気がする。(終わり)
【読者のみなさまへ】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。今回の、このケラーさんのお話は、表現的に問題か所が多くあると思います。中には、内部事情暴露のような内容になっているところもあるかもしれませんが、どうかご理解ください。
おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。
神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。