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スイスで介護ヘルパー!その30「認知力が衰えたフィンランド人のグラーフさん・第五話」#入居者さんの思い出
(第四話からの続き)
認知に時間がかかるようになったグラーフさん
グラーフさんの朝は、早いこともあれば遅いこともあった。7時に目を覚ましてコールを鳴らすこともあれば、9時過ぎまで寝ていたりする。
グラーフさんのお世話は他の入居者さんより比較的時間がかかるが、そういう人は後回しにしがちである。おとなしく寝ていてくれるのをいいことに、今のうちに他の方を済ませてしまおうとして、ついつい遅くなってしまう。
それで、ある朝のこと。ちょくちょく見に行ってはいたのだが、結局9時半になってようやく始めることに。すると、しばらく前から目を覚ましていたというグラーフさんは、なんだかご機嫌ななめである。
「なんでもっと早く来てくれないの?もうずっと前から鳴らしているのに」
「すみません、グラーフさん。さっき、9時に見に来たときはぐっすり寝てらしたので・・・」
そう言って、まずはベッドの中で足の清拭(ぬれたタオルで拭き、乾いたタオルで乾かすこと)。私は布団を下の方から少しめくり、足だけが出た状態で、洗面所にタオルや靴下を取りに行く。
「介護スタッフの中には、来るといきなり、布団をはがしてそのままどこかへ行っちゃう人もいれば、こうやって半分だけめくる人もいるのねえ・・・」グラーフさんは、口うるさいおばあさんになるまいと自戒しているのか、多少抑え気味ではあったが、率直な感想を述べた(確かに、すぐにガッと布団をどけてしまう人が多いが、朝起きていきなりあれではつらいだろうと思うので、私は一部しかめくらない)。グラーフさんが天井を見ている間、私は彼女の足を拭き、続いてタイツを履かせた。付属品が多いので、時間がかかる。
しかし太もものあたりで止めておいて、全部はかせはしない。あとでトイレに座ることになっているからだ(その時にオムツを変え、陰部も拭く)。
手を貸してあげて起き上がったグラーフさんは、ものも言わず車椅子に座る。私はトイレまで連れていくと、また手を貸して座らせてあげる。トイレでしばらく座るので、私はこの間に足りないタオルを取りに行った。すぐに戻りますとは言ったものの、グラーフさんは反応しない。
ところが、ほんの1,2分で戻ってきたら、グラーフさんは私の顔を見て、「あら!?ヤパーナリン!ヤパーニッシュ・ブルーメ!!」と言い、目を細めて高い声を出すではないか。
あ、そうか。さっきまでは私の顔を見ていなかったし、耳もよく聞こえないので、私だと認識していなかったってことか! 急に表情を緩め、手を差し伸べてきたグラーフさんの手をにぎり返して、私も、まるで今はじめて入ってきたかのように再会を喜んだ。
チョコレートのために転倒
そんなグラーフさんが、ある夜、転倒してしまった。なんでも、夜中に小腹が空いたからチョコレートを食べようとして、ベッドサイドテーブルに手を伸ばしたところ失敗、ベッドから落ちたという。ベッドの高さは1mほどだが、打ち所が悪かったのだろう、青あざや絆創膏、包帯で変わり果てた姿になってしまった。
どうやらその夜に限って、ベッドサイドテーブルはベッドから離れた位置にあったらしい。さらにあると思ったチョコレートが見つからず、暗やみの中をまさぐっていたらしいのだ。
その後は救急車に乗せられ病院に向かい、検査を受けた。
絆創膏だらけで戻ってきたグラーフさんは、始めの方、「ああ、恥ずかしい、恥ずかしい!」とくり返し言っていた「まったく、チョコレートのためにこんなことになるなんて。誰かに知られたら、ああ恥ずかしい」。
・・・そこからもう、グラーフさんが起き上がることはなかった。前にあったような一瞬の奇跡も、二度とは起こらなかった。
あるポリグロットの最期
グラーフさんは、多言語をあやつるポリグロットだった。しかし最後の1,2か月だったか、とうとうフィンランド語しか話さなくなってしまった。
フィンランド人の友人が来て通訳していたが、彼女がいない時、私たちはお手上げだった。スペイン人のアナベルがフィンランド語を調べてきて、グラーフさんとコミュニケーションしようとしていた。が、グラーフさんは耳も悪いし、アナベルの発音も完璧ではなかったのだろう。何の反応もなかった。
ライシャワー元駐日米国大使が、日本語を完璧に駆使して活躍していたのに、老年は英語しか話さなくなってしまった話は有名である。私が年をとり日本語しか話さなくなった時も、娘となら話せるように、そう思って、娘にはしっかり日本語を教えてきた。
しかしグラーフさんが、フィンランド語だけになったのは最後のわずか1,2か月のことだ。
ほかのマルチリンガルの入居者さんも、あらゆる言葉を相手を選ばず話す(しかし言い淀む)などの症状はよく見られる。が、それほど深刻な問題ではない。
私はその点に関して、心配するのをやめた。
グラーフさんの形見
グラーフさんの亡き後、フィンランド人の友人が来て部屋を片付けた。これは処分してくださいと言って渡されたものの中に、たくさんの使いかけのメモ帳があった。方眼紙や罫線、どこかのホテルのロゴ付きなど。
私はそれを捨てないで、こっそりいただいた。仕事に使っているのだが、数か月経った今も、まだたくさん残っている。
いろいろため込む癖があったグラーフさん。メモをちぎるたび、「ヤパーニッシェ・ブルーメ!」と呼んでくれたときの、あの嬉しそうな笑顔を思い出す。(終わり)
おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。
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