スイスで介護ヘルパー!その24「本当は構ってほしかったケラーさん・第四話」#入居者さんの思い出
(第三話からの続き)
歩行器から車椅子へ
入居当初、ケラーさんは歩行器を押しながらひとりで歩けた。ゆっくりながらも、活動的に歩きまわっていたのだ。
ところがある日、廊下を歩いていたところ、急にドアが開き、ケラーさんは倒された。ドアから出てきた看護士のモニカは、その時、待たされるのが大嫌いなミューラーさんを待たせている最中。倉庫へオムツを取りに行って、急いで戻ってくるところだったのだ。それで、ドアの向こうに人がいないか確認するのを忘れ、ドアを勢いよく開けてしまった。
よろよろと歩いていたケラーさんは跳ね飛ばされ、床に転がった際に足を痛めた。その後モニカが切羽詰まってパソコンに向かい、方々へ連絡していた背中を思い出す。しかしその甲斐なく、以来ケラーさんは歩けなくなり、車椅子になってしまった。
そういった事故は残念ながら時々あり、家族も理解してくれ、責められることはない。それでもモニカのしょんぼりした姿を見て、あのドアを開けるときは気をつけようと強く心に誓ったものだった。
例えばおしゃれだったラングさんは…
話をもとに戻すと、ケラーさんはそんなわけで、なかなか扱いの難しい方だった。私はここまで重度の認知症の方をお世話した経験がほとんどなかったのだ。
ずっと前に、ラングさんという女性がいた。体を触られるのをひどく嫌がり、パジャマに着替えさせようものなら大騒ぎされた。が、彼女は基本的におしゃれだったので、服は毎日とりかえていたし、美容院にも通って、いつも小奇麗にしていたのである。
だから、ラングさんの経験は役に立たなかった。ケラーさんのような、こんな、山姥のようになってしまった女性を私は初めて見た。
そんなわけで、例えば午後、入居者のみなさんが思い思いに過ごす間も、私はあまりケラーさんに接触していなかった。
午後は誰かを見るよう指示されることもあれば、成り行きで誰かを担当することもある。退屈している人を見つけて、私から近づいていくこともある。そんなときも、私はやっぱりケラーさんをなんとなく敬遠していた。そしてほかの同僚たちもそうだった。
なんといってもケラーさんは、言葉を発しない。コミュニケーションができないので、ケラーさんといてもあんまり面白くない。何をしたらいいか分からなかった私は、ケラーさんを無意識に避けていたのである。
車椅子になってもケラーさんは、相変わらず両足を使って、あちこちへぶらぶらと移動していた。よく通路の真ん中にいて、みんなの通行の邪魔になっていたし、テレビの前にはだかって、ほかの入居者さんからクレームが出たりもしていた。
ダニエルの逆鱗に触れる
けれど、本当はケラーさんだって、構ってほしかったのだ。通りがかりの人に近づいていって、ちょっかいを出すことがあった。いきなり、手をつかむこともあった。
ある時、食堂のサービス係のダニエルがテレビの前を通りかかった。ダニエルはブラックユーモアが好きな男性で、一見して気のいいヤツに見えるのだが、実は感情の起伏が激しい。
またダニエルに限らずサービス係は、高齢者介護について何の知識もなく入社してくるので、たまにトラブルも発生している。
その日、何も知らないケラーさんは、運悪く、そのダニエルの手をつかんでしまったのだ。彼はその日、虫の居所が悪かったらしい。日本語で言うところの、「やめろ!はなせ、この野郎!!」と叫ぶ声が響き渡った。大声だったので、みんながふり向いた。
いくら山姥のようなケラーさんでも、一応、入居者さんなのだ。これで、ダニエルの本性がばれたと、私は思った。もう、クビかもしれない。
けれどダニエルはクビにならず、今も働いている。サービス係は、入居者さんへの接し方にそれほど厳しくないと見た。それとも、私たち介護部門では解雇を乱用しすぎているのかもしれない。特に問題になることもなく、この件は忘れられていった。
それでも、本人は反省したのか。私の知る限り、あれ以来こういったトラブルは起きていない。(第五話へ続く)
【読者のみなさまへ】
今回の、このケラーさんのお話は、表現的に問題か所が多くあると思います。中には、内部事情暴露のような内容になっているところもあるかもしれませんが、どうかご理解くださり、最後までお読みくだされば幸いです。
また、「この表現に直した方が良い」などのご指摘は大変ありがたく存じます。よろしくお願い申し上げます。
おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。
神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。