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スイスで介護ヘルパー!その29「日本の花を愛でてくれたフィンランド人のグラーフさん・第四話」#入居者さんの思い出

(第三話からの続き)


「日本の花」と呼ばれて

 グラーフさんのナースコールでお部屋に行き、用事を済ませて部屋を出るとき。
 私が「これでいいですか?はい、それではグラーフさん、良い一日を。また後で!」などと挨拶すると、グラーフさんは笑顔で右手を出すので、私は握り返す。そして何度もうなづき、左手もかぶせながら、「ありがとう、ありがとう。あなたは優しいのね、本当にありがとう」と言ってくれるのが常だった。

 いつからか、グラーフさんは私のことを「Japanische Blume(日本の花)」と呼ぶようになった。それまでもヤーパン(日本)とか、ヤパーナリン(日本人)など言ってはニコニコしていたのだが、なぜかそこに「花」がつくようになった。
 私はまた例によって「リリー」という通称を名乗っていたのだが、それよりも「ヤパーニッシェ・ブルーメ」と呼ばれるほうが多かった。それを発音する時のグラーフさんは、まるで自分が考えた呼び名に大いに満足しているかのように、心底嬉しそうな顔をするのだった。

初めての「ご指名」

 
 ある夜のこと。この道30年というベテラン看護士・セシルが、無表情に言った「今、グラーフさんのところに行ったんだけど、日本人が来ると思ったのにってがっかりされたのよ。イクヨ、グラーフさんやってくれる?」。

 あれが私の、最初に受けた「ご指名」。記念すべき第一号は、このグラーフさんからだったのだ。もちろん、喜んで引き受けた。

 グラーフさんの夜の儀式


 ……しかし、同僚の多くはスイス人社会に溶け込んでいるし、冷え性でもないし、痩せの大食いでもない。いや、お世話する際にはその人に共感を覚える必要がある、などというつもりはもちろんない。
 が、とにかく話が長くて、さらにこだわりも多いグラーフさんを、煙たがる人は増えていった。

 寝る前の儀式は誰にでもあるものだが、グラーフさんの儀式はミューラーさん並みの複雑さだった。

 横になったら、まず首の後ろから手を入れて、ネグリジェを上に引っ張ってあげる(でないと首が絞められいるようで苦しいそう)。そして両脇の下に手を入れ、体をベッドの上の方へと引き上げる(でないと両足がベッドのへりにぶつかる)。枕を調節し、上半身をちょっと高くしてあげる。足には毎晩、ご指定のクリームを塗る。右手には、シーネを装着する。枕元には、ティッシュペーパーの箱、反対の壁側には、時計を置く。両肩には白いショールをかける。布団の上には、さらに毛布をかけるが、それは足の方だけ(夜中に寒くなった場合、引っ張れるように)。唇が乾燥するので、リップクリームを塗る。窓は、5cmほど開けておく。ナースコールがちゃんと鳴るか、テスト操作してみる。そして、電気は全部消す・・・。

 二人で一緒に思い出しながら、ひとつひとつこなしていった。
 ミューラーさんと違って、グラーフさんは私の間違いを責めたりしない。それが救いだったのだが。

 この作業はどうしても、慎重にならざるを得ない。というのは、何かひとつでも忘れていると後からコールが鳴り、また廊下をはるばる歩いていかねばならなくなるからだ。
「えーっと、これで全部でしたよね?」「そうねえ、たぶんこれで大丈夫だと思うけど・・・。あっ!そうそう、窓は開けてくれた?ほんの5cmでいいからね、開けておかないと、空気が悪くなるから」

ついに訪れたグラーフさんの衰え


 今こうやって書いてみると、全部覚えていることに自分でも驚く。グラーフさんが亡くなったのはほんの半年前だが、この一連の作業をしていたのは、去年までだった。

 その後、グラーフさんは目に見えて衰えていき、まだまだお元気だったはずの姿は、日に日に変わっていってしまったから。
 まず歩けなくなり、移動は車椅子になった。精神的にも、かなり不安定になってきた。特に朝の調子が悪く、床の中で「ヴォリオ・モリーレ(死にたい)」とイタリア語で言うこともあった。
 
 グラーフさんの弱点は、なんといっても耳だった。補聴器を装着していても聞き返されるので、よく大声でリピートしていた。それも、右耳が悪い。まだ聞こえるのは左耳のほう。だからくり返し言ってあげる時は、グラーフさんの左耳に向かって言うのだ。

 グラーフさんのベッドは、彼女の左側が壁についていた。寝ている時など、私たちが話しかけるのは彼女の右側から、つまりよく聞こえない方。だから私たちは身を乗り出し、ほとんど枕に顔を突っ込むような体勢になって、グラーフさんの左耳に向かって大声を出していた。
 それでも、グラーフさんは言う「もっとゆっくり、はっきりしゃべって」。さらに、「そんなに大きな声で言わないで。よくわからないから」とまで。
 
 かと思うと、ある朝のこと。グラーフさんを起こしに行くと、「あらあら。目が見えるわ。耳も聞こえる。よく聞こえるわ」。ベッドに寝たまま、明るい声でグラーフさんが言ったことがあった。
 不思議なことに、その時、まだ起きたばかりで眼鏡も補聴器もつけていないグラーフさんと、私は普通に会話をすることができた。
 あれは一瞬の奇跡だったのか、今もってよくわからない。
 
 グラーフさんは、新聞も好きだがテレビも好きだった。朝は、いつもテレビのニュースを見ながら朝食をとっていた。だから私はいつものように、グラーフさんをテーブルの前までお連れすると、テレビのスイッチを押したのだが。その日、テレビは奇妙な音をたてていた。

 それはまるで太鼓のような、軽快なリズム。ドラムほど派手ではない、シンプルな、しかし一定のリズムを打ち、時々合いの手が入るような。踊りたくなるとは言わないが、ノリの良い音が、不思議なことにエンドレスで流れてくるのだ。
 それがニュース番組にかぶってBGMになっているのがどうも変で、どこからか流れてくる音なのかと訝ったほどだ。

 しかし、グラーフさんは動じない。というより、テレビなど見ていないで、ひとり静かに食事している。一応テレビはそのままにしておいたが、奇妙なリズムを打ち続けるだけで、肝心のニュースはほとんど聞こえないのだった。

 あとで同僚に聞いてみると、しばらく前からあのテレビは調子が悪く、そんな妙な音をたてているのだそうだ。・・・私はテレビがそんなことになるケースを知らなかったので、なんだかおかしかった。
 が、それよりもっと驚いたのは、まったく気にしないグラーフさんであった。となりのテレビからあんな音が常に発せられているのに、まったく気づかない。反応もしない。

 それで私たちは、テレビをつけることをやめた。グラーフさんはもうだいぶ前から、ニュースを見たいと言わなくなっていたので。(第五話へ続く)

 おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。
 

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平川いく世
神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在はスイス・バーゼル近郊に住む。