10年前、食べ物を捨てたくてしかたなかった。
いまから10年前、2013年ごろのこと。あの頃の俺は、捨てようと思った食品を手に、台所にあるゴミ箱の前でよくモヤモヤしていた。
持て余している食品が目の前からなくなると、とてもすっきりする。こんなことを書くと語弊があるだろうか。整理整頓が好きなので使わないで置いておいた調味料とかティーパックとか乾物とか、できるだけ早く片付けたくなる。(10年前の話ね)
これは、決して食べ物を邪魔者扱いしているわけじゃない。
すべての食べ物に敬意を払っている。その上で、使わないでずっと家の中で放置されている食べ物は気になるからそのままにはしたくないのだ。捨てるとすっきりするのはわかっているけど、やっぱり捨てるにはちょっと罪悪感がある。だから捨てることを躊躇する。でもそれらを食べるまでにはなかなか至らない。すっきりしたいから、食べるか捨てるかだれかにあげるか。すっきりする手段はいろいろある。さてどうするか。
その食品を手に入れるのにお金を出したのは自分だ。だからその食品をどうしようが俺の勝手だ。(しつこいけど、これ10年前の心境ね)
食品のメーカーや販売しているお店の売上に貢献したし。もっと言えば、この食品を加工したり運んだり保管しているさまざまな企業の売上にも、間接的にも貢献した。なんで罪悪感をもつんだ。わけわからん。
中には自分で買ったのではなくて貰った物もあるけど、もらっちゃえばそれはもう俺のもの。所有権は自分にある。これを捨てようがどうしようが、俺の勝手だ。捨て方も住んでいる地域のルールにちゃんと従っている。なにも後ろめたいことはない。ないのだ。
その頃、食べることに困っている人が世界にはたくさんいることは、すでに知っていた。
食べることに困ると言うことは、栄養が足りず、学校に通えず教育が受けられなかったり、働くことができず賃金を稼げなかったりで、また食べ物を手に入れられないという悪循環。そういう状況があることは理解している。
だけど日本の東京という都市のど真ん中で食品をゴミ箱に放るとき、世界のどこかにいるであろう食べることに困っている人の顔は正直浮かばない。俺が捨てようが捨てまいが、その問題に直接は影響しない。だったら捨てちゃえばいいのだ。それですっきりするはずだ。捨てる理由を持ったはずなのに。そのはずなのになぜか、捨てる時の罪悪感は消えない。
そんなことを本気で、ぐるぐるぐるぐると考えていた。
11年前は「食品ロス」という言葉を知らなかった。ましてそれが地球環境に負荷を与えたり、経済問題に悪い影響を与えたりしていることさえわかっていなかった。ただ食べ物を捨てるときに胸の奥で沸き起こるモヤモヤ。
そのモヤモヤが気になって、「人が食べ物を捨てること」に向き合い始めることになる。
食品ロスの問題を解決するために立ち上げた「一般社団法人フードサルベージ」が、2024年3月に9期目に突入。ここから新しい取り組みをいろいろやっていこうと思っています。
3月8日(金)の夜、東京永田町にある「KIGI」さんを会場に、周年イベントで、8年間の取り組みについて一挙に振り返りながら、これからの取り組みについて発表します。
食品ロスに興味ある方。これからプロジェクトを始めようと思っている方。食品ロスを学んで社会や自社に貢献したいと思っている方。などなど、いろんな方に遊びにきてほしいイベントです。よかったら、下にある8th特別サイトをご覧ください。
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