平井 巧 satoshi hirai

「このさき、どう食べていこう?」を創造するフードデザインチーム「株式会社honshok…

平井 巧 satoshi hirai

「このさき、どう食べていこう?」を創造するフードデザインチーム「株式会社honshoku」代表/「一般社団法人フードサルベージ」代表 43歳で大学に編入し、食×人文地理学のアプローチをスタート https://www.honshoku.com

マガジン

  • フードデザインのために

    「このさき、どう食べていこう?」を創造するフードデザインチーム honshoku による新しい食文化や価値観に向けた考察。

  • 食品ロスのこと

    食品ロス関連の考察や活動のこと。

  • いまフードスコーレは

    2020年4月にスタートした食の学び舎「フードスコーレ」のこれまでの経過報告です。

最近の記事

腹八分目人間っていないのか

昔から、お腹いっぱいに食べるのが苦手である。食べることは好き。家で料理する、馴染みの店に行って食べる、ひとりで静かに食べるのも、大勢でにぎやかに食べるのも好きだ。どんなシチュエーションにしろ、食べることは大好きなんだけど、お腹いっぱいに食べるのが苦手だ。だから、いつも腹八分目を食事のゴールにしている。 お腹いっぱいになる直前、つまり腹九分目を超えてくると、いくらおいしいと思うものを口に運んでも、もう「おいしい」とは感じないのだ。あれがさびしい。食事でさびしい思いはしたくない

    • 一度は見てみたい、カールができるところ。

      仕事で大阪に行った。一通りの仕事を終えて、東京へ帰るために乗らないとならない新幹線に、間に合うか間に合わないかギリギリな中で、レジの長蛇の列に並んでまでして、スナック菓子の「カール」を買ってしまった。 調べると、カールは、2017年8月の生産分をもって全国販売を終了している。このニュースが販売元の明治から発表されたとき、ショックだったのを今でも覚えている。ふだんはそんなに食べているわけでもないのに、なくなるよと言われると、急にさびしくなる。人は勝手なもんだ。 森永のチョコ

      • 没場所性と食の均一化

        都市や商業施設の風景がどこでも同じになりつつある現代、その現象に伴う食の均一化について考えます。エドワード・エルフの「没場所性」の概念をもとに、食文化の多様性が失われる現状について書いてみます。 駅前には、どこも同じようなチェーン店が並んでいますよね。あの街やこの街にあるショッピングモールにも、同じようなテナントが入っています。 ぼくは今東京に住んでいますが、都内だけじゃなく、仕事やプライベートで訪れる東京以外の地域でも、駅前、商店街、商業施設には、やっぱり同じような店が並

        • 「こうしなければならない」と「じぶんはこうしたい」のギャップ

          SDGsへの関心は、日本では2017年くらいから高まっていて、今でも続いているように見えます。SDGsを背景に、企業は経営方針を決めたり、学校現場では環境教育がますます進められていますよね。 (いきなり話が逸れるけど、日本ではSDGsを「環境」の領域で捉えがちだけど、それってなんでだろう。SDGsでは、「社会」や「経済」のことも掲げられているのに。まー、ここではこの話はいいか) SDGsをきっかけに、“いま地球でどんな環境・社会問題が起きているのか” を知った人って、きっ

        腹八分目人間っていないのか

        マガジン

        • フードデザインのために
          16本
        • 食品ロスのこと
          10本
        • いまフードスコーレは
          22本

        記事

          食品ロスに対して何をしてよいかわからない人へ。何かできるようになるための道具を。

          「フードサルベージプロデューサー」という資格をつくりました。3月にリリースして、5月から資格を認定するための講座をスタートしています。 資格を認定された人が、それぞれの立場や経験を活かして、それぞれの動機と目標をつくって食品ロスという問題に向き合っていくための資格です。 この資格は、ぼくが代表理事でもある「一般社団法人フードサルベージ」で認定していくことにしました。フードサルベージは、気づけば今年で9期目を迎えた会社でして、“「捨てる」を「救う」に。” を掲げて、食品ロスと

          食品ロスに対して何をしてよいかわからない人へ。何かできるようになるための道具を。

          SDGsのせいで食べることがおもしろくなくなった説について

          MDGs から SDGs の流れによって、様々な社会問題・環境問題が表面化されたことで、「食べることにどんな影響を与えたか」ということをよく考える。 とくに、小学生から環境問題を強制的に勉強している10代の人たちの中で、「食べることっておもしろくない」と感じる人が増えちゃうんじゃないかな、とは結構本気で懸念している。 “持続可能性” というのはポジティブな目標であるんだけど、そのためにいま社会で起きている問題を可視化して、その問題が及ぼす悪影響も明らかにしたことで、今まで

          SDGsのせいで食べることがおもしろくなくなった説について

          「食について考えているなんて、意識高いね」に対して「うるせー!」という気持ち

          「食について考えているなんて、意識高いね」 たまに言われることです。言った本人に悪気はないから雑談の中でサラッと言うもんで、だから言われた僕も心の中で「うるせー!」と思いながら、ツッコむ間もなく話題は過ぎていく。そんなこと、たまにあります。 なにを持って「意識が高い」のか「低い」のかわからない。本人的には意識高くないんだけどねー。グルメでもないし、お菓子大好きな間食人間だし、ごはんと味噌汁と納豆だけの食卓なんてしょっちゅうだし(土井さん万歳)。 環境系の仕事をしている知

          「食について考えているなんて、意識高いね」に対して「うるせー!」という気持ち

          とくに食や教育関係のお仕事の方へ。食品ロスに対するアクション、一緒に創りませんか? (かなり本気です)

          3月8日(金)の「サルパの日」に、一般社団法人フードサルベージ創立8周年記念イベントを開催してきました。 そこで発表したこれからの食品ロスに対する活動について、あらためてnoteに書きます。 食品ロスを新しく捉えなおす いま食品ロスがとても “狭い問題” になっています。消費者庁の調べでは食品ロスという言葉の認知度は8割を超えているようだけど、その割には問題を本質的に捉えきれてないのが現状だなと思います。食べ物を捨てることは“もったいない” という感情論だけで食品ロス問

          とくに食や教育関係のお仕事の方へ。食品ロスに対するアクション、一緒に創りませんか? (かなり本気です)

          10年前、食べ物を捨てたくてしかたなかった。

          いまから10年前、2013年ごろのこと。あの頃の俺は、捨てようと思った食品を手に、台所にあるゴミ箱の前でよくモヤモヤしていた。 持て余している食品が目の前からなくなると、とてもすっきりする。こんなことを書くと語弊があるだろうか。整理整頓が好きなので使わないで置いておいた調味料とかティーパックとか乾物とか、できるだけ早く片付けたくなる。(10年前の話ね) これは、決して食べ物を邪魔者扱いしているわけじゃない。 すべての食べ物に敬意を払っている。その上で、使わないでずっと家

          10年前、食べ物を捨てたくてしかたなかった。

          大量生産してモノを売っていくことで稼ぐというセオリーから、離れていく準備

          国民の8割もの人が知っている社会問題の割には、食品ロス問題の捉え方は未だ狭いものになっているよな、と思う。 商品をつくって売り続けることで稼ぎ続けなければならない企業。地球環境にやさしい食べ物を買いたいけど、それは高価であることが多いから買い続けられない消費者。 理想の社会とリアル社会のズレで、「生きづらさ」って生まれているんだろう。これまでの大量生産・大量消費という経済セオリーのままだと、生きづらさを抱えたまま、食品ロス問題に対してもなんとなくやり過ごす日々が続いていく

          大量生産してモノを売っていくことで稼ぐというセオリーから、離れていく準備

          食と向き合うと、わけがわからなくなる。でもそれでいい。“Don't Think, Feel!”

          これを書いているのは2024年1月6日の土曜日。8日の祝日まで連休の人も多い。僕もその日までは仕事を休んでいるけれど、時間があるこの間に、昨年思ったことや、今年やりたいことを整理しておこうと思う。 僕自身、ここ3、4年は「どうやって食べていくか」という問いと向き合ってきた。日本人は食べることには、たいてい恵まれている。都市部にある飲食店では世界中の料理が提供され、全国各地の食材やおみやげを買うことができる。インターネットで各地からお取り寄せもできる。冷凍食品、コンビニ、自動

          食と向き合うと、わけがわからなくなる。でもそれでいい。“Don't Think, Feel!”

          家でつくる料理。「これがいい」じゃなくて、「これもいい、これでいい」という感覚。

          料理家の大塚佑子さんが主宰する「アルモンデパーティ」に行ってきた。この日、大塚さんの最強アシスタントに、スープ作家の有賀薫さんも参加するとのことで、久しぶりにおふたりにお会いできるとワクワクしていた。そして、はじめて参加する場にちょっぴりドキドキもしていた。 この記事のカバー画像は、アルモンデパーティの参加中にメモしたもの。終わったあと見返すと、ぜんぶで8ページにも渡っていた。それくらいメモしておきたいことがある豊かな時間だった。 料理のちいさな悩みを思い出す「アルモンデ

          家でつくる料理。「これがいい」じゃなくて、「これもいい、これでいい」という感覚。

          世界食料デー特別企画 サルベージ・パーティ 〜食の課題をたのしく考えるための場づくり〜

          8月23日(水)、honshokuは食の学び舎フードスコーレのプログラムとして、「世界食料デー」の呼びかけ団体である認定NPO「ハンガー・フリー・ワールド(以下HFW)」と サルベージ・パーティ(以下サルパ)を開催しました。 食品ロス問題を中心に、サステナブル領域における食の在り方を社会に提案することや、食卓に小さな喜びを提供するためのコンテンツ開発を推進するhonshokuは、「世界食料デー」のパートナーとしてその想いを形にしていくサポートを行なっています。 今回のサル

          世界食料デー特別企画 サルベージ・パーティ 〜食の課題をたのしく考えるための場づくり〜

          10代の若者のためにできる「食の授業」

          東京大井町にある「品川エトワール女子高等学校」に声をかけてもらって、通年で「食と環境」の授業を行なっている。2年生、3年生が対象で、気づいたら今年で4年目に入り、これまでたくさんの高校生と話をしてきた。 エトワール以外に単発でも、小学校、中学校で同様の授業をしたり、大学で特別講義もやってきたが、将来有望な若い人たちに向けて何かをするのは、やっぱりたのしい。講師業を仕事としてきちんとこなすが、それ以上の気持ちで取り組んでいる自負もある。若い人たちに、自分が提供できるものはとこ

          10代の若者のためにできる「食の授業」

          もう、食を学ぶことが娯楽に近いのかもしれないや。

          世の中に「食を学ぶこと」のおもしろさを伝えたい。 これはフードスコーレをやってきて、つくづく思うこと。 「食を学ぶこと」の何がおもしろいのか。人によってそのおもしろさは違うのだろうけど、俺が本当に「おもしれーなー」って思うのは、知らなかったことに触れたとき。 たとえば、農園部の畑でミニトマトそっくりなじゃがいもの実を見たとき(見たことないひとは、ググって見てみて!)。 かつお節には大きい節と小さい節があって、人間と同じで脂が乗っている節もあれば、痩せている節もあって、

          もう、食を学ぶことが娯楽に近いのかもしれないや。

          小菅村で、食の循環を体感

          すこし前の話になりますが、多摩川源流にある山梨県小菅村へフィールドワークに行ってきました。 「フードスコーレ」で、「Foodloss & Wasteの存在論」と題した、フードロスの在り方を考えるためのゼミがスタート。 「食べものを棄てる」という人の営みに対して「Why?」と向き合うゼミです。食の現場へのフィールドワーク、さまざまなプロフェッショナルとの対話を通して、フードロスの再定義に挑戦していきます。 歴史地理学者の湯澤規子さん、食と農の歴史学者の藤原辰史さんと行った

          小菅村で、食の循環を体感