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食べることを通して、社会を見てみる

「食べるってなに?」を通して、社会を覗きたい。世の中にある見えづらい食のことを描いてみたい。そんなことを考えています。それを「書いて残す」というのは良い手段だなと思ったので、noteに書いていきます。

じぶんは四六時中食べもののことを考えている、といっても言い過ぎじゃないんです。これ本当です。

まず仕事はというと、「株式会社honshoku」(ホンショクと読みます)という食のクリエイティブチームで、食に関する課題解決や、自社コンテンツの運営をしています。

「食の廃棄」については、2013年から専門的に取り組んでいて、これまでも企業や自治体といっしょに企画を生んできました。

高校や大学では講師として教壇に立っていたりもします。10代の若い生徒たちといっしょに、「食」や「環境」をテーマにいろいろとお話しています。生徒たちへ教える立場ではあるけれど、いつもこっちの方が学ばせてもらっています。

2020年からはじめた食の学び舎「フードスコーレ」では、食を軸にしたさまざまな学びのプログラムを企画。「食から、生きるを考える」が、フードスコーレのコンセプトです。(手前味噌ながら、本当ユニークなプログラムを企画しているので、食に興味ある方はぜひサイトやSNSを覗いてみてください)

そしてこれは個人の話。2022年から法政大学に3年生編入したんです。43歳にして現役の大学生。選んだのは文学部地理学科。地理学を通して食の見えづらいことを描き直したいと思ったのが、地理学を専攻した最大の理由です。

最近は、家で仕事をすることも増えて、毎日の食事も自炊が多くなって。仕事の休憩がてら、スーパーに食材の買い出しに行くんですが、これがたのしい。台所に立って料理をするのは気分転換にもってこい。この一連の時間がとても気に入っています。ちなみに得意料理は、麻婆豆腐とハンバーグ。

食べものについてずっと意識的ってわけじゃないんです。腹減ったからなにも考えずにコンビニで肉まんを買い食いしたり、「甘いもん飲みたい〜」と飛び込んだコーヒーショップで無意識にティーラテを注文したり。いくら「食」のことに興味があっても、ずっと考えているのは疲れます。本能のまま、買いものと食事をたのしむこともあります。

それでも思うのは、「食べるってなんだろう?」について考えるのは大事なことだということ。

拡大し続けてきた消費社会の問題はいろいろあるけど、人と自然の間を離し、自然環境にダメージを与えてきたこともそのひとつ。あらゆる商品の大量生産・大量消費が、消費社会を助長しています。

「エシカルフード」という言葉があります。これは、いわゆる環境に配慮した食べもののこと。広い領域の話をひとつの言葉で表すのは、中身をわかりやすくしている反面で、人を思考停止にもします。思考しないとどうなるかというと、エシカルフードと謳っているものを(それを言うのは企業側)、「これを買っていればいいんだ」と安易に思ってしまいかねない。

エシカル消費は、いま「流行」になりつつあります。消費者に受け入れられるから、企業はエシカル商品をますます生み出すでしょう。「この商品はエシカルだから安心ですよ」と広告宣伝もします。「エシカルな消費だから」と消費者の購買はすすみます。

ここで一度考えてみよう。

「流行」が消費社会を大きくする要因なんじゃないの?
エシカル消費の本来の在り方ってなんだ?
そもそもエシカルってなにに配慮しているんだっけ?配慮ってなに?

消費社会が一方的に悪いわけじゃないと思うんです。じぶんたちはそれを受け入れていま暮らしています。いまのみんなの生活をひっくり返すことは現実的じゃありません。消費社会、資本主義が悪いのでは無く、いつまでも変わらないじぶんたちがいけないんだろうな。そんなことを考えています。

エシカルフードの在り方について考えるように、身の回りの当たり前なことを「そもそもなんで?」と疑うことは、訓練としてやっておいたほうがいいんじゃないでしょうか。その疑いの先にひとつの答えはないけれど、それでも考え続けることは止めない方がいいと思っています。

「食」は考えるテーマにしやすいんです。食べることに関わっていない人はいない。食べものの好みや、食にまつわる思い出のひとつやふたつ、みんな持っているじゃないですか。じぶんの中に「食」について考えるための「とっかかり」は必ずあるんです。

食と農業の歴史学者である藤原辰史さんは、著作『戦争と農業』の中で、こう書いています。

食べることを点検してみると、世の中の歪みがはっきりと見えてくる。

藤原辰史『戦争と農業』集英社(2017年)

いま、消費社会に対して批判が手厳しいし、その影響が「食べること」にも出始めています。これまでと同じように食をたのしむことは、むずかしくなっていくんでしょうか。

そうした事態に惑わされないようにするためには、「このさき、どうやって食べていこう?」について、どうやらじぶんで考えた方がよさそう。このnote連載を通して、そんなことをみなさんと一緒に考えていきたいです。

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