神性と獣性
僕らの中には神性と獣性が同時に内在している。
それを「光」と「闇」の関係で例える人もいれば、「神聖さ」と「悪魔性」と表現する人もいる。
どれも同じ話だ。
シルバー・バーチはこのことについて、「人間には、神性が宿っていると同時に、動物進化の名残としての獣性もあります。人間としての向上進化は、その獣性を抑制し、神性をより多く発揮できるようになることです」と語っている。
全くその通りだと思う。
みんな「愛」や「らぶ💖」と言うけれど、同じ愛でも、動物的な愛と、人間的な愛と、神聖な愛とでは大きな違いがある。
バガヴァッド・ギーターの読み解きを本にされている森井先生も著書の中で、
『同じ「気持ち良さ」でも、
動物的な「快感」
人間的な「幸福」
神聖な「至福」
ではとても大きな違いがあります』
と伝えている。
つまり、「人にはつねにこの三つの選択肢が内在しているよ」ということだ。
そして、ここからは持論なのだが、おそらくこの三つの選択には脳波が大きく関わっていると思っている。
ベータ波のような戦闘モード(仕事モード)の時に神聖な選択というのはよほど訓練していないかぎりはできないと思う。だってこの脳波は物事を判断していかなければいけない時に現れるからね。
「このやりとりで100万円の仕事が決まるかもしれない」という一種の興奮状態の時は損得で判断せざる終えないため、「神聖さ」という部分にまでは中々到達できないであろう。
神聖な選択というのは、自分が落ち着いて満たされている時にこそできるのだ。
では、どうすれば落ち着いて大らかで満たされているような気持ちでいられるのかという疑問が浮かぶと思う。
そういう時に古来から使われているのが呼吸である。
「息」とは自らの心と書く通り、心の状態と深く関わっているからだ。
つまり、呼吸が深くなれば脳波も下がっていくという仕組みだ。
この時に勘違いして欲しくないのは、瞑想によってハイパー意識を手に入れようと思わないことだ。
これも大分前に書いたことだが、我々の世界の仕組みはただ一つ、「放ったものが返ってくる」。
これだけ。
ということは、「手に入れよう」と思った瞬間に「手に入っていない状態」が必要となるって仕組みなんですね。
分かりますかね?これ?
だって「手に入れる」ためには「手に入っていない自分」がいないと成り立ちませんからね。
だからどんどん「手に入っていない」現実が起こってきますよ。
ではどんな状態が良いのかというと、「すでに在る」という意識ですね。すでに在るものをただ感じるんです。
はじめに書きましたが、神聖さというのは我々の中にすでに内在しているんですね。どこか山の上にあって、それを取りにいく旅に出るわけではないんです。
もし大きなリュックを背負って「悟りの山」に登りに行こうとしていたらすぐに引き返してください。
そういうことではないんです。
今この瞬間にある幸せなものを感じて、味わって、呼吸して、それを定着させるんです。
そこから色々なことを選択すれば良いですねという話でした。
では今日はここまで。
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