祖母の人生(戦前の女性)
1979年、私は、大学に進学するにあたって戸籍を提出する必要があり、自分の戸籍をはじめて見た。
そのとき、私の父は、父親の欄が空白であることを知った。
事情はわからないけれど、とにかく父には母の名前しか記載されていなかった。
思わず「私は馬の骨だ!」と思った。
でも、父のことは好きだった。
以来、私は自分のことを、立派な馬の骨だと思って、胸をはって(?)生きてきた。
父の家族
父は1929年(昭和4年)に生まれた。
祖母は、幼子の父を連れて嫁に行ったという。
私の父には妹と弟がいた。
叔父には知的障害があった。
叔母と叔父は、嫁入り先でうまれたということだった。
私の祖母にあたる人は若いうちに死んでしまったから、詳しいことは何もわからない。
きれいな人だったという話と、苦労したという話は聞いたことがある。
結局、祖母が亡くなってからは、父と叔母と叔父は、祖母の実家で育ったらしい。
1993年、享年64歳で父は急逝した。
父の戸籍
私が父の戸籍をすべて見たのは、父が亡くなってから20年近く経ってからのことだった。
私の母が、病院から施設に入ることになり、実家に行って母の荷物を整理して、入所の準備を手伝っていたときに、それは見つかった。
父が亡くなった後、母が土地と家屋を相続するために、近所の司法書士が揃えた書類の中に戸籍の束があった。
父が亡くなったときは私も若かったから、その頃に見ていたら、よくわからなかったかもしれない。
でも、私は、仕事で相続人の調査などをするようになっていたので、戸籍の内容を理解することには、慣れていた。
相続のための書類であるから、父の出生から死亡までの戸籍がすべて揃っていた。
祖母の戸籍
祖母は自分の実家に籍がはいったままで、父親の記載のない子どもを産んでいた。それが父である。
昔聞かされていたとおり、祖母は幼い父を連れて嫁に行った。
驚いたのは、それからの記載だった。
この人は、亡くなるまでに、ほとんど立て続けに、5人の子どもを産んでいたのだった。
嫁いではじめての子が、叔母である。
次の子が、叔父である。叔父には知的障害がある。
3番目と4番目の子は、うまれてから1か月たたないうちに、亡くなっていた。
5番目の子は、うまれてまもなく亡くなっている。
そして、ほとんど時を同じくして、祖母自身も亡くなっていた。
かわいそうに・・・
私は、涙があふれて止まらなかった。
祖母の人生
きれいな人だったけど、苦労ばかりした人だったと、聞かされてはいた。
戦前の、田舎のことである。
父親のわからない子を連れて他所へ嫁ぐというのは、さぞ肩身が狭かったのだろうと思う。
誰にも言えない恋だったのか、レイプだったのか、それもわからない。
おそらく、望んで嫁いだわけでもなく、望まれて嫁いだわけでもなかったのだろう。
すべてが、仕方なく、だったのだろう。
そうでなければ、こんなにむごい戸籍が残されるはずがない。
毎年のように5人の子どもを産んで、普通に育ったのは、はじめの子だけなのだ。
次の子には障害があった。
それから以後の子は、すぐに死んでしまった。
最後は、自分も一緒に死んでしまった。
このひとの体が、どんどん弱っていったのだということが、戸籍を見ているだけで手に取るようにわかる。
「大事にしてもらえなかったんだね・・・」
私は、涙を流しながら、会ったことのない祖母に話しかけていた。
そして・・・
それからも、私は仕事でいくつもの相続にかかわったけれど、こんなに悲しい戸籍に、会うことはなかった。
今でも、思い出すと涙があふれてとまらない。
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