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雨宿り


雨やどり

 滝のような雨の中、安達太良山から猪苗代に向けて車を走らせていると、ふと道路脇に立てられた神社の案内板が目に入った。「橋姫神社」。珍しいな、と思い車を停める。広々とした公園の奥の方に小さな茂みと目新しい拝殿の姿が見える。

 ぬかるむ敷地をずぶずぶと進んで拝殿へと近づくと、不意に濡れ縁の上で丸くなっている白い塊に気が付いた。猫だ。向こうも気付いたようで、こちらの様子を窺っている。猫にとっても折角見つけた雨宿りの場所だ、邪魔をしては悪いと思い目を逸らし無関心なそぶりを見せながらゆっくり歩いてみた、が結局そそくさと逃げられてしまった。猫というのはこちらがそういう妙な気遣いを見せるとかえって気を悪くする動物のように思う。

神宿り

 悪い事をしてしまったな、と思いながら拝んだ後で案内の看板を読んでみる。橋姫というと宇治の橋姫や柳田國男が紹介する国玉の大橋に現れる鬼女のような恐ろしい印象もあるが、ここの橋姫様は安産を司る姥神様として大事に祀られているようだ。境内に目をやると石造の祠やいしぶみが無数にある。相変わらずの雨で一つ一つじっくり見ることは叶わないが、双体道祖神だろうか二体の人を象った碑も三基並んで建っている。

 そのうち幾つかの顔は人の手で削り落とされ凹んでいる。おそらく上に穿たれた盃状穴と同様、願掛けなのだろう。ここの橋姫神社が別の場所から移ってきたように、この祠たちも集落に点在していたものが集められたものなのかもしれない。ただ、様々な祠と祈りの痕跡を見ていると、この集落に確かに生きていた信仰と、あらゆるものに宿った神の存在をうっすらと感じられるような気がしてくる。
 そんなことを考えていると、今さっきここで猫を逃がしてしまった事が急に縁起の悪い事に思えてきた。「罰でも当ったらどうしようか」と思ったが、まあそれはそれで巡り合わせなのだろうとすこし諦めて一層ひどくなった雨の中、車をまた走らせた。

 結局旅程の破綻もなく、無事に家へ帰ることが出来た。何百年と人の傍に居た神はそんな事で目くじらを立てる訳はない、ということなのだろうか。

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 この記事を書きながら周辺の地図を見ていると、橋姫神社の近くに「猫石」という巨岩が祀られている事に気付いた。そういえばここへ来る前に寄った丸森も猫神様の多い土地だった。猫神様というのは一般に養蚕の神様で、丸森も近世末から近代にかけて養蚕で栄えたようだ。ここもそうなのだろうなと再び地図を見ると小字に「蚕養」とあった。殊更にお蚕様を大事にしていた土地柄なのであろう。となると猫も大事にされていたのだと思う。
 そんなところで猫様に無礼を働いてしまったのはやはり中々に不味い事だったのではないだろうか。改めてそう思った。


#夏の1コマ

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