「ベタ」の対義語が「オリジナリティ」ではない
先日、「何者かわからないとその先は無い」というタイトルでnoteを書きました。自分のプロフィールを真面目に書かないと相手にしてもらえないという話です。
私はこういう事例を分解して抽象化して、他の事例に当てはめて考えるのが好きなんですが、たぶんこの「何者かわからないとその先は無い」という話は、ベタとオリジナリティの話に行き着く気がしたんです。
自己主張や自我が強い人は、ベタを嫌って100%オリジナルで勝負しようとします。オレ流ですね。でも、成功者は骨格や構造をオレ流にはしていません。守るべき社会的フォーマットは守って基礎を作り、暴れられる場所でオレ流をやっています。
プロフィールを真面目に書くのは、社会的フォーマットに則った行動です。骨格や構造と行ってもいいかも知れません。真面目に書かれたプロフィールは、地面にしっかり打ち付けられた杭のようなものです。
「その人」が「そう言う」から、発言に信頼性が出ますし、面白くも感じられるんです。プロフィールが「おじさん」だけで、アイコンがイラストだったら、鋭いことを言っていてもイマイチぐっと入って来ないんですよね。
世の中にはプロフィールもアイコンも適当なのに人気がある人がいますが、そういう人はずっと発信し続けてるんです。ずっと発信し続けて、なおかつ毎回鋭い事を言っていることで信頼を得てるんです。だから、そこを目指さない方がいいです。SNSの天才みたいな人たちなので。
社会的フォーマットを守る事にどんな意味があるかと言うと、間口を広げるという意味があります。自分の発信のマーケットを広げると言いますか。
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