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noteで感情のフタをとる。自分がまずすっきりする。noteありがとう。
ぼくは家にいるときはラジオを聞かない。聞くときはもっぱら運転中だ。営業するのに車をつかうぼくは、運転中の娯楽としてラジオを選択する。
ポッドキャストやボイシーなども聞くし、カーステレオからながれるFMも聞く。東京FMが好きだ。「シンクロのシティ」と「スカイロケットカンパニー」が好きだ。まぁ営業のために移動しているから丁度その時間運転している、というのもあるのだけれど、聞いてしまう。
おそらく、やさしさが見えるからだと思う。パーソナリティのやさしさ、リスナーのやさしさ、スタッフのやさしさ。「やさしさ」って何って聞かれると明言ができないのだけれど。おそらく、東京FMの人たちにはこれが素敵というものがあるうえで、他人の意見や考えを糾弾せずに飲み込む感じがあるからだと思う。
あ、でなにがいいたかったかというと「スカイロケットカンパニー」には掲示板があって、昨日そこに書き込まれた働くお母さんの書き込みが読まれた。何に疲れているのかわからないけれど、自分の苦しみを書き込んだものだった。パーソナリティのまんぼうやしろさんが言った一言がいいなぁって思ったのだ。だれかが読んでいると思う中で書く、ということをどんどんしてほしいと。我々は読んでいるよと。お疲れ様ですと。
これってぼくがなぜnoteを書きはじめたのかにもつながる気がした。もちろんこういうnoteを書きますとした、読んだ人に少しでもホッとしてほしいという想いもあるのだけれど、自分がnoteで書いていることにつながるのだ。
Evernoteにでも日記帳にでも書けばいいことをわざわざnoteで書く。ブログでもなく。だれかが読んでくれるだろうと思いながらnoteで書く。ぼくはみんなみたいにうまく文章を書くことも、考えをまとめることも、深めることも、素敵な詩も感慨深くおもしろい小説を紡ぐことも、素敵な写真やかっこいい音楽を創造することも、興味深いお話もできない。でも、書く。だれかにみられているというのは、どこか救いがある。
おっかなびっくり始めたnote。そこに書けば、だれかに読まれるということ。しかも、それぞれが素敵だと思うことがありつつ、他人を否定しない感じがいいのだ。(批判していてもいいけど。)たまたま他人を否定するようなnoteをぼくが観ていないだけかもしれないけど。コメントがある、スキがつく。嬉しい。嬉しいのだけれど初めは見られたということをダッシュボードでみるだけでうれしかった。それでいいのだ。
だれかをホッとさせる前に自分をホッとさせる。だれかを喜ばせる前に自分が喜ぶ。だれかの感情のフタを開ける手助けするよりも自分の感情のフタを開ける。noteは自分をホッとさせてくれるツールかもしれない。(ぼくは書きたいことがいっぱいあるわけでもないから、ネタのストックなんてできない。毎回書くとき悩むし、書き始めてなんか違うってなるんだけど、なんかここに書きたいと思っているのだ。)
あ、それでいいのだっていい言葉だな。
noteさん、ありがとう。
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