仕事がつらくなった日のメモ
「あー、仕事つらいな」と思い、そんなことを思う自分にびっくりした。
入社して1年半、プロモーションの仕事を面白いと思ってやってきた。担当製品のことを考えたり説明したりするのも好きだし、開発や営業、カスタマーサクセスの方と連携しながら仕事ができるのも楽しい。知らないこと、できないことがたくさんある状況すらも面白かった。
それが最近はどうだろう。急ぎの仕事は何か、何から手をつければ一番インパクトがあるか、この仕事に本当に意味があるのか。そんなことばかり考えている。「仕事だしそれで間違ってない」とは思うけれど、意義の証明に追われているようでだんだんと苦しくなった。
元々自己肯定感が低く、業務に自分の存在意義を見出していた節もある。「こうやったらいけるかも」と希望を見出した業務を他の人にパスしたとき、なんとなく拾っていた業務に専任者がついたとき、社内での自分の価値が削れ落ちていくように感じた。
会社としては業務が属人化しないのは素晴らしいことだ。チームとしては一歩先に進んだ。そう言い聞かせるようにした。
「やるべきこと」ではなく「やりたいこと」に目を向けたら、この苦しさもなくなるのかもしれない。そう思ったが、今後のキャリアを上手く描くこともできなかった。
製品プロモーションの仕事を続ける?
プロモーションだけでなくマーケティングに視野を広げる?
カスタマーサクセスも面白そう?
特定の製品から離れた仕事をしてみる?
どれも面白そうだが、結局「どれが一番担当製品の事業にとって重要か?」「一番人手不足なのはどこか?」という思考に落ち着いてしまう。仕事がアサインされるタイプの職場じゃないからこそ、個人としてやりたいことを決められない自分に苛立つ。なんでもできるワクワク感が、何をしたらいいのか分からない焦燥感に変わった。
「種まきも大事だから」と諭されても、他のチームメンバーが出すアウトプットを見るたびに焦った。それでいて、自分の焦りがただでさえ忙しいチームの雰囲気に悪影響を与えていないかも気になった。
そんな日が続く中での打ち合わせ。議論が続いたWeb会議の接続を切った瞬間に「施策を続けるかの判断にやたらとこだわっているのは自分だけなんだな」と思い、虚無感に襲われた。
どうして自分は「ひとまず続けてみよう」と寛大に思えないんだろう。誰に言われたわけでもないのに、無駄だと言われることを恐れているんだろう。明日以降のスケジュールに並ぶたくさんの予定、その意味を問われ続けている感覚があるんだろう。そんな考えが押し寄せた。もう今日は何もできないと思い、タイムカードを切った。
ご飯を食べても、温かいお茶を飲んでも、音楽を聞いても、いまひとつ気分はよくならない。TwitterのTLを流れる推しアイドルの写真や記事を見ても、指が動かない。明日はセミナーなのにこんなテンションで大丈夫かな。そう思って、さらに落ち込んだ。
ここはもう、つらくても頑張れるようにしてくれる曲をかけるしかない。私にとってのそんな一曲、Sexy Zoneの「RUN」を流した。
困難な問題も難題も挑んで
ここでやめんな やめんなよ
君がいなきゃ何も始まらない
歌詞がいつも以上に突き刺さり、ぼろぼろと涙を流した。
泣いているうちにオタクとしての元気は取り戻し、5人の「RUN」が聞きたいと思った。(YouTubeやCDで聴けるのはメンバーが4人だったときのバージョンなのだ)
5人の「RUN」を求めて、10周年アルバムのボーナストラックを再生した。ライブ前の円陣やファンの歓声が入った特別版なので、自然とネガティブな気持ちが薄まる。
「じゃあ、何より楽しんでいこうか」
ライブ前のその掛け声にハッとした。
私は今、仕事を楽しめているだろうか?
担当製品のことを考えたり説明したり、開発の議論を聞いたり、お客様のお話を聞いたり。あんなにも楽しい仕事がたくさんあって好きだったはずなのに、それが何のためになるのか、どのくらい意味があるのかと、嫌になるくらい優先順位ばかり考えていた。
仕事だから目的は大事だ。優先順位は大事だ。無駄は省くべきだ。それでも、どうしてもそれが息苦しくなったら、まずは目の前の仕事を楽しんでもいいんじゃないか。
ひとまず明日のセミナーはしっかりと、そして楽しくやろう。愛を込めて製品の話をするのは好きだ。お客様からどんな質問をいただくのか、緊張もするけれどワクワクする。
先ほど届いた「お申し込みが増えた」という通知を見て、より一層明日が楽しみになった。
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