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モリのアリとウィリー

6月の終わりころ熊谷守一(くまがいもりかず)美術館に行ってきました。妻について行きました。ついて行くのはよいものです。
どうしても見たいと気合を入れて出かけるのは胸躍る行為です。しかし胸躍るにはエネルギーをたくさん使います。その点、ついて行くは省エネと言えましょう。胸躍る強い風を正面から受けとめるのはメインの人であって、おまけの人はその後ろで風をよけていればいいのです。
メインがせっかく楽しみにしていたイベントに失望しているその後ろで、おまけが思いがけず楽しむこともありえるでしょう。トップを走るランナーの陰で安逸に暮らしていた2番手が、終盤に一気に抜き去って勝利するのに似ています。バツが悪くないのでしょうか。いいえ勝負ですからバツもマルもありません。
(この日は妻も勝利したようで、めでたし)

勝ち負けなく、すすすーっと

守一の絵をテレビで何度か見てはいましたが、やっぱ本物は違うなー。
なんて確信はないのですが、よくそういうことを耳にしますのでボクも言ってみたのです。
どれも小さいし、「やっぱ迫力が〜!」とかいう絵でもない。身の回りの小さなもの(有名なのは蟻とか蝶々とか猫とか)を飄々淡々と描いている。いわば飄淡(ひょうたん)派と言えましょう。
飄淡というだけでなく、妥協のない強い意志も感じさせるのです。線も色も構図もムダなく削ぎ落とされていて、91歳になったウィリー・ネルソンの歌のようです。
あ、いや、これを書きながらたまたま聴いていたものですから。

筆跡(ふであと)がテレビや図版で見るよりよく分かる。
気がする。
8Kとか数値に変換できる解像度は単純で緻密で、人間の五感の解像度はもっと複雑で大雑把である。
気がする。
人は併設のカフェから漂うコーヒーの香りを嗅いでもいる。
気がする。
個々のスペックは人間よりデジタル技術の方が上だという時代がいつか来るだろうけど、色んな感覚(部分)が全体としてどう協働しているかは当分解明されない。
気がする。

奇妙な図である、綺麗な色である

ヨドバシなんか行くと「ぬりかべ」みたいにでっかいテレビがあって、でっかい上に見えすぎて息が苦しい。ぜんぶ見える。すると感覚が麻痺するのでしょうか、不思議なことに立体感がスゴいはずの画面がのっぺりと平板に見える。
何もかもが鮮明に見えるというのはスポーツを見るにはいいかもしれません。我が家の小さくて古いテレビでサッカーなど見てると、ワラジ虫の離合集散と変わりありませんからね。ワラジ虫の離合集散だって面白いぞとワラジ虫に叱られそうですが、そんなことは知っています。

やっぱ本物は違うなとか言いましたけど、本物とそれを再現するレプリカの関係っていうか、レプリカの立ち位置っていうのは、ブレードランナーじゃないですけど微妙なものですよね。
単純に解像度を上げれば面白いのか。それも面白いでしょうけど、解像度ばかりが面白さの理由ではないでしょう。
ある時ラジオからプレスリーの「ラブミーテンダー」が流れてきて、耳元で囁かれているような生々しさに驚いて、はっと振り返ったりして、それはちりちりノイズ混じりの蓄音機の音だったのですが、生々しいというと本物に近いという意味だけど、そうじゃなくてあれは蓄音機という装置に固有の生々しさで、蓄音機が人間とは異なる息遣いを持った生き物として存在しているかのような、プレスリー本人が耳元で歌ってくれてもあれは再現できないんじゃないか。まぁ、プレスリーが蓄音機を再現する意味はないんですけどね。
いったい蓄音機の再現性って何なんでしょう。
蓄音機の音はラジオで又聞きしただけですが、レコードの音は直接知っています。本物とはもちろん違う、そしてサブスクにはないレコードならではの音の「物質感」っていうのか、快感をたしかに感じます。
針という物質はレコード盤という物質にじかに触れて引っ掻いております。野蛮ではありませんか?その野蛮な行為の現場に耳を近づけると、実際に物質が悲鳴を上げています。レコード盤も針も無傷ではいられない。そうして血を流しながら歌ったり踊ったりしております。この生々しい祝祭的物質性こそが、レコードの音の存在感の理由なのではないかと思ったり。

いったい何の話ですか。
そうそう熊谷守一。わら半紙の端っこにちょこちょこと鉛筆で走り書きみたいな絵もわざわざ残してあって、のし餅を描いたというけど、ただの四角形が3つ重なってあるだけで、座布団だと言われれば座布団な絵です。これはどう考えてもヒマつぶし、あるいは酔っ払って描いたんだろうか。
でも、酔っ払いの線はもう少し陽気で隙がありそうなものです。ちゃんとした絵と同じように素面で淡々と描いたのかもしれない。彼はのし餅を見て何かしらピンときたのでしょう。ボクはこの絵を見てピンときたわけではないけど、のし餅を描いてみたいと思う気持ちは何となくわかる。気がする。

立派なハエである  花より、という割には団子もテキトーに描いたように見える

(今の)芸大を主席で卒業したそうですが、そんな風には見えないというか、早熟が多い画家たちの中にあってなんだかのんびりしていたように見える。普通に裸婦をスケッチしたりセザンヌ風の絵を描いたり、でも実家が傾いてそれを支えるために実家に戻り、その間は絵を描かず、かと言って手伝いもせず、馬の背中に立ち乗りして遊んでいたというからやっぱり暢気である。でも馬に立ち乗りってのはすごい。暢気というより狂気ではありませんか。何事も興味を持つと極める体質なのか。本人は大真面目でもこちらから見ると大笑いな、あるいはこわい人かもしれない。いずれにしても回り道というか、絵描きとして旺盛でない時間がだいぶあったようです。
その一方、別な時期にはスケッチの旅にもけっこう出ている。何しろ長生きで時間はふんだんにあった人です。守一が着ていた重そうな外套やイーゼルその他が展示してありました。広く頑丈な肩にイーゼルを担いで日本中を歩いた姿が目に浮かびます。体力があるというのはすごい才能です。

旅の途中である 写真がボケてるので本物を見るべきである(普段は岐阜にある)

よく知られる画風を確立したのは70歳を過ぎてからのこと。庭にしゃがみこんで虫の動きをじっと眺めていたという逸話もそれからのことです。色んな逸話から作られるイメージ通り、世間によく思われようという欲がなかったのでしょうか。 
60歳頃の写真なんですが、髪も髭も白くなって老人っぽいんだけど、目はランランと輝き、強く澄んでいて、青年のように瑞々しい。まだ始まっていないぞ、とでも言いたげな。その純粋な強さにたじろぎます。世間的ではない欲はたくさんあった人ではないでしょうか。情熱の向かう先が絵で良かったと思います。 

1880年生まれというから、夏目漱石よりたった13歳年下。そして芥川龍之介よりなんと12歳も年長。どんだけ昔の人か。
なのに亡くなったのは1977年。ということはセックス・ピストルズはすでにデビューしていた。夏目、芥川と同時代人でありながらセックス・ピストルズを聴いていたというのは驚きです。近い時代の人と感じられるのもうなずける。
友人の青木繁という画家は1911年に28歳で亡くなっている。1911年のヒット曲というと「桃太郎」です。お腰につけたきびだんご。ピストルズと桃太郎の差には目まいを禁じ得ません(ジョニー・ロットンが「桃太郎」をカバーしたらまちがいなく素晴らしいと思いますが)。青木は早熟の天才であったため、早くから伝説となり、絵の雰囲気も時間の隔たりの向こうにあるように見えます。もちろん今はそう見えるというだけで、もっと長い目で見た絵の評価とは違う話ですが。

吾輩は有名なネコである

守一の70歳以降に描いた絵が、そのキャリアの中でもやはり抜群にキャッチーなのは、庭から一歩も出なかったとしても、時代の空気を知らず胸に吸い込んでいたからかもしれません。私たちと同時代の空気です。やはりセックス・ピストルズを聴いていた可能性は高い。少なくともクラフトワークは聴いていたでしょう(画風から察するに)。
セックスピストルズを同時代と呼ぶ感覚がすでに、若い人から見れば、私が熊谷守一の時代の方にいるという証なのかもしれません。驚きです。
濡れ衣だ、と言いたいけど事実です。

熊谷守一は家族からはモリと呼ばれていたそうです。いいですね、父親をそんな風に呼べるなんて。子沢山だったけど早くに亡くなった子が何人かいたそうです。

熊谷榧(かや)作 石彫りによるモリの肖像

この美術館を作った次女の榧(かや)さんは、モリに負けない体力に恵まれた活発多才の人であったようです。世界中を旅したという彼女の絵もとてもいいです。モリよりずっとサイズの大きい絵を描きました。風がヒューと吹き抜けるような力強い絵です。見てきた風景の違いが現れているのでしょうか。

モリのアリとともによじのぼる

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