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【エッセイ】人生における虚像 


理想や過去に囚われ、今の自分を見失う。

そんな瞬間は、誰の人生にも訪れるものだろう。


短気で怒りっぽい親に育てられた私は、幼い頃から「よい子でいることが正義」と教えられてきた。


失敗は迷惑をかけること。
誰かに嫌われることは、まるで人生の終わり。


いつしか、「よい子である自分」こそが価値のすべてだと信じ込むようになった。




「自分らしさ」とは何か?


そんな問いを抱えながらも、世間には美しい言葉があふれていることに気づいた。


「ありのままでいい」「自分を大切に」――それを口にする人々が、本当にその通りに生きているのだろうか?


表面だけの言葉のように思えて、私は「自分らしさ」という概念すら、信じられなくなっていた。




そんなある日のこと。30代前半の男性と1on1の対話をしているときのことだ。


「本音で話していない気がする」


その一言に、私は心を射抜かれた。


観察力に優れ、場を和ませる言葉を選ぶのが得意な私。


しかし、いつしかそれは「仮面」となり、本当の自分を隠すための手段になっていた。


そしてその仮面が、私自身だと錯覚していたのだ。



その夜、街の明かりを眺めながら歩いていると、ふと思った。


「ただただ、自由気ままに生きればいいんじゃないか?」


心の奥で氷が溶け出すような温かさを感じた。


長い間止まっていた時計の針が再び動き出す感覚。


振り返れば、私は本来気ままでのんびりとした性格だ。


長い入院生活でただひたすら寝ていられたあの自分――。
それが「本当の私」なのかもしれない。



「心が喜ぶ瞬間」を増やすこと


自分らしさとは、無理に追い求めるものではない。


ただ、心が「これをしたい」と感じる瞬間を丁寧に拾い上げること――それで十分なのではないだろうか。


もちろん、人生には社会との折り合いが必要だ。


しかし、忙しい毎日の中でも、ほんの少しだけ「心が喜ぶ時間」を作ることはできるはずだ。


例えば、朝のひとときにお気に入りの音楽を流しながらコーヒーを飲む。


仕事の合間に窓を開けて新鮮な風を吸い込む。


家族と笑い合い、友人と他愛のない話をする。


そうした時間が増えるだけで、人生は少しずつ穏やかで優しいものに変わっていく。



・・・



人生の道には、あちらこちらに小さな明かりが灯っている。
それは、疲れたときに腰を下ろすための道標だ。


その明かりに気づき、自分を休ませることを許す――それこそが、自分らしく生きるための鍵だと感じる。


「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がいい。」


カート・コバーンの言葉が、今ようやく胸に深く響いている。


ありのままの自分でいい。


そう思える瞬間、心に優しい風が吹き抜ける。


そして、その風が私たちを、本当に大切な場所へと運んでくれるのだろう。

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