見出し画像

【映画レビュー】『不思議の国のシドニ』

日本で再生していくフランス人作家。静かで穏やかで温かな余韻の残る作品

ずいぶん久方ぶりにシネスイッチ銀座に出かけてきた。歴史の長いミニシアターで、結構気に入っているのだが、最近は近場の映画館ばかりでなかなか銀座に行く機会がなかったのだ。観た映画は「不思議の国のシドニ」。
 
フランスを代表する名優イザベル・ユペールが、撮影のために日本に来ているとだいぶ前に聞いたことがある。どうやら、それがこの映画だったらしい。
 
喪失感を抱えるフランス人作家が、日本に来て再生していくドラマだ。


あらすじ
フランスの女性作家シドニ(イザベル・ユペール)は、自身のデビュー作「影」が日本で再販されることになり、出版社に招かれて来日する。編集者の溝口(伊原剛志)に案内されて、日本の読者と対話しながら各地を巡るシドニ。やがて滞在中の京都の旅館の部屋に亡き夫アントワーヌの幽霊が姿を現す……。


シネスイッチ銀座にて鑑賞

シドニの喪失感は大きい。両親と弟を事故で亡くした彼女は、夫のアントワーヌと出会い救われる。そのおかげで「影」を執筆することができたという。だが、その夫もまた事故死してしまう。それ以来、彼女は小説を書いていない。
 
そんな状況だから、彼女は日本行きをためらう。冒頭、パリの家を遅く出て、日本行きの飛行機がすでに飛び立ったはずの時刻に空港へ着くと、飛行機は遅延でまだ出発していなかった。それで気の進まないままに日本へ向かう。
 
そして、訪れた日本で6日間を過ごすうちに、シドニの喪失感は次第に消えていき、新しい一歩を踏み出すことになるのだ。
 
この手の再生物語は決して珍しくない。それでもこの映画が面白いのは、古き良き日本の風景が彼女を癒していくことだ。鹿のいる奈良公園や東大寺の大仏、京都の法然院、老舗旅館、はては直島の現代アートまで。満開の桜が咲く下で溝口ともに旅をし、穏やかで静かな空気に包まれる中で、彼女は少しずつ癒されていく。
 
溝口の存在もシドニの再生に大きな力を発揮する。最初はぶっきらぼうで怒っているように見える溝口だが、そのうちに彼も大きな孤独を抱えていることがわかる。彼の父親は広島の原爆で家族を亡くし、兄夫婦は震災で亡くなってしまった。そして、今は妻との不仲に悩んでいる。
 
大きな喪失感を抱えたシドニと孤独な溝口。交流を重ね、ひんぱんに言葉を交わすうちに2つの魂が共鳴するようになる。
 
ちなみに、溝口のフルネームは、溝口健二ならぬ溝口健三。劇中でも「あの有名な映画監督の親戚か?」と聞かれる場面があるが、このネーミングといい、古き良き日本を映し出した映像といい、日本への愛が全編に貫かれている映画である。エリーズ・ジラール監督は日本好きを公言しているとのこと。そういえば、冒頭のフランスでのシーンから、溝口らの日本映画に触発されたと思われるシーンもそこかしこにある。
 
そしてもう一つ、シドニの再生に威力を発揮する人物(?)がいる。亡き夫アントワーヌの幽霊である。最初はホテルなどにチラチラと顔を出していた幽霊は、京都の和風旅館で堂々と姿を現す。もちろん、他人にはその姿が見えないのだが、その後もシドニの前に何度も現れ、色々な対話をするようになる。それもまた彼女の心を癒し、再生へと導く。
 
アントワーヌの幽霊は、これまでもシドニのそばにいたのだという。それが姿を現したのは、そこが「日本だから」。溝口はアントワーヌの幽霊が現れたと聞いて、「日本では普通のことだ」という趣旨の発言をする。「いやいや、そんなことはないだろ!」と思わず突っ込んだのだが、その後の「日本では生者と死者がつながっている」「幽霊(祖先)はいつも私たちを見守っている」という趣旨の発言には納得させられた。そうした死生観も、シドニの心に強く響き彼女の再生を手助けする。
 
基本は静かで穏やかで情感あふれるドラマだ。ただし、適度なユーモアも込められている。ホテルの従業員がシドニにお辞儀をするとシドニがそれにお辞儀で返す。すると今度はまた従業員がお辞儀をする。それに対してまたシドニがお辞儀をする。すると今度はまた……というように無限連鎖のお辞儀が繰り返される場面は、まるでコントのようで思わず爆笑してしまった。
 
終盤は意外な展開。アントワーヌの幽霊がシドニの喪失の闇に光を当てる。だが、幽霊はやがて消えていく運命にある。シドニは「あちら側」に行こうとするアントワーヌを見送る。
 
そして、そんな彼女は溝口と急接近する。それまではつかず離れずの関係だったのに、ついに一線を越える。何だ?この安っぽいメロドラマのような展開は。美しい静止画像で描いているとはいえ、2人のベッドシーンまで出てくるに及んではちょっと興ざめ。奥ゆかしいドラマなのだから、最後までそれで行ってほしかった。
 
とはいえ、観終わって温かな余韻が残る作品だったのは間違いがない。情感漂う美しい日本を舞台に展開するファンタジックな物語として見れば、なかなかによくできた作品だと思う。
 
そして、このドラマを陳腐なものにしていないのは、シドニを演じたイザベル・ユペールの圧倒的な存在感だ。数々の名作・問題作に出演してきた彼女のたたずまいは、それだけで多くを物語る。ホテルでベッドに腰を掛けているだけで、独特の世界が構築される。
 
相手役の伊原剛志も見事な演技だった。大量のフランス語のセリフを覚えるだけでも大変なのに、そこに繊細な感情を込めているのだから。ちなみに、撮影中、伊原がフランス語ができるとばかり思ったユペールが、フランス語で話しかけたものの、ちっとも理解してもらえなかったらしい。
 
夕刻、映画館を出てみると、そこは何かと気ぜわしい銀座の風景。映画の中の日本とは、ずいぶん違うのだった。

◆「不思議の国のシドニ」(SIDONIE AU JAPON/SIDONIE IN JAPA)
(2023年 フランス・ドイツ・スイス・日本)(上映時間1時間35分)
監督:エリーズ・ジラール
出演:イザベル・ユペール、伊原剛志、アウグスト・ディール
*シネスイッチ銀座ほかにて公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/sidonie/

●鑑賞データ
2025年1月9日(木)シネスイッチ銀座にて。午後2時15分より鑑賞(スクリーン1/D-8)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集