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自分の内面に気づいたら、涙が出てきた話

家族、友人、健康、住む場所・・・数え切れないほど、私はたくさんのものを持っていたことに、本当の意味で気づけた気がする。


隣の芝生は青く見える。
この言葉を、一度は聞いたことがあるんじゃないかと思います。

「人が持っているものはよく見える」。その心理は確かにあるものの、私の場合は人と比較して羨ましさを感じるのではなく、自分の中での不足感がずっとありました。

感情的なものなので言語化するのは難しいのですが、虚無感や無価値感が強かったのだと思います。

資格の勉強をしたり、仕事に関わる勉強をしたり。
とにかく、勉強することに全力を注いできました。

その根底には、「私自身は何も持っていないから、人の役に立つ為にはもっと知識をつけないといけない」そんな思いがあったのだと思います。

「資格取るなんてすごいね」「いろんなことに挑戦してすごいね」なんて優しい言葉をかけてくれる人もいたのですが、それを素直に受け取れない自分がいたんです。(私は何もできないから、勉強するしかないんだよ、とどこかで思っていたのかも)

最近、内面について勉強する機会がありました。
改めて自分と向き合ってみると、自分の持っているものや環境について、私は気づいているようで、ちゃんと気づけていなかったなと思えることばかりでした。

周囲から褒めてもらえても素直に喜べなかったのは、決して謙遜していたわけでもなくて、単純に自分で自分を認められなかったからかもしれません。

「自己肯定感」なんて言葉もありますが、知識として頭では分かっていても、自分の中で腑に落ちるまでは落とし込めていなかったんです。これ、結構厄介だなと思いました。

頭でっかちというか、インプットばかりでアウトプットできていなかったんです。

内面のアウトプットって難しいですよね。自分のことだから、伝わる人には伝わるけど、伝わらない人には伝わらない。(伝わらないのが悪いわけではなくて、おそらく着眼点が違うだけ)

これに気づけたのは、散歩中のことでした。

森林浴が好きで、山登りだったり広い公園などをよく散歩するのですが、公園での散歩中、ふっと不思議な感情が湧き上がりました。

そういえば、私ってこうして緑の色を綺麗な緑の色として認識してるよな、と気づいたことがきっかけでした。

目が見えること、音が聞こえること、これって当たり前じゃないよね。

子どもたちが楽しそうに遊具で遊んでいる姿を見て、ふと自分が幼かった頃のことを思い出して、私って自分の力で人生歩んできたと思っていたところがあったけど(こうして言葉にすると本当おこがましいですね・・・笑)、家族や友人がいたからこうして今日も生きていられるんだよね。

これって、当たり前じゃないよね。

当たり前だと思っていたこと。
これって実はこれ当たり前じゃないのかな。

そう自分に問いかけていくうちに、自分がいかに恵まれていて、自分で自分をちゃんとした意味で認められていなかったことに気づきました。

何故かわからないけど、気づいたら泣けました。
自分で自分を認めてないことに気づくのって、こんなに苦しいというか、涙が出るんだな・・・(今いるの外だけど)

これが正解なのかはわからないけど。
感情に正解も不正解もないはずだから、相手に何かを求めたり、人を変えようと思うのではなくて、自分を変えようとするのではなくて、まずは自分を認めることから始めよう。
(頭では分かってたはずなのに、出来てなかったかもしれない)

表向き、上っ面の認めるじゃなくて、ちゃんとした意味で、自分を認めてあげよう。自分を認められれば、相手も認められるはず。

そんなことを思った日でした。

改めて、頭の整理や感情の整理には、散歩が一番効果的かもしれない。
おすすめです。ぜひ、歩きましょう!笑


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