古事記コラム⑦邪馬台国はどこにあるのか
※古事記を考察しながら思いついたことなどをいろいろと書いていきます。検証不十分、想像多め。
邪馬台国についてはいろいろな意見があって、議論に終わりは見えない。
私も意見のひとつとして、古事記の独自考察をふまえた邪馬台国考察を書いてみたいと思う。
古事記の独自考察はこちら。
私の古事記考察の中で、対外交渉を担っていたと思われるのがヤマトトモモソビメだ。
ヤマトトモモソビメは、大倭の七代天皇を父に、師木の大倭国阿禮比売命を母にもち、【十市】で生まれ、八代天皇とともに内色許男命と交渉した。
師木は日向、大倭は奴国を拠点としている。
このことから、次のような推測ができる。
【十市】で内色許男命と交渉したのが、八代天皇とヤマトトモモソビメ。
邪馬台国のことは、ヤマトトモモソビメの話によって伝えられた。
邪馬台国は日向の八幡(ヤバタ)国のことであるが、ヤマトトモモソビメ自身は行ったことがない、母の祖国である。そのため行程も、女性の移動で「水行二十日」「水行十日、陸行一月」のような大雑把な話として伝わった。
奴国までの行路については大倭の八代天皇が伝えたため、詳細になっている。
つまり、「奴国の八代天皇」と、「八幡国の女性が【十市】で生んだヤマトトモモソビメ」が伝えた話から、邪馬台国の記述が書かれたのではないか、というのがこの推測だ。
そして、奴国の大倭は、元を辿れば大和の国に由来する。
そう考えれば、奴国のある福岡、八幡国のある日向などの九州説も、大和の畿内説も、ある意味正しいと言える。
結論が出ないのは、どちらにも根拠がありつつ決定打がないということなのだろう。
ところで、天の岩戸のきっかけとなった出来事が、「機織り小屋の屋根に穴をあけて、皮を剥いだ馬を投げ入れる」というものである。
私はこれを、
馬を投げ込まれた機織り小屋が、邪馬台国
馬を投げ入れるのが、投馬国
を表す言葉遊びではないかと考えている。
投馬国というのは、邪馬台国とともに魏志倭人伝に記されている大きな国だ。そして、機織りの国である八幡を表した邪馬台国は、字の並びを見ると真ん中に馬がある。
本当は薩摩=殺馬と記そうとしたが、言葉遊びをしているうちに馬を殺した話が投げ込む話に代わって、投馬になってしまったのではないだろうか。
この説をうけるならば、邪馬台国の字をあてたのは『馬』を『バ』とよんだ国で、投馬国の字をあてたのは『馬』を『マ』とよんだ国となり、交流が始まった時代を特定できるかもしれない。