勉強、何のためにするの?
こんにちは、大山です。
今日は個人的な雑感も含めて
何のために勉強するの?
っていう問いは塾講師歴が長くなってきた自分にとっても、もうなんか永遠の問いみたいなとこがあって
「受験のため」「将来のため」「世界をよりよく知るため」
その時々で発せられる、どの答えも間違ってはいないと思います。まがうことなき事実ですし。
けど、この仕事を長く続けて、たぶん僕自身が今の方が学生だった頃よりも勉強できるようになっていて、今改めて思っていて伝えられたらいいなって思うのは
勉強できた方が楽しいよね。
ってこと。
いや、もうシンプルに、「何のため」とかそういう理屈抜きで、その方が楽しいよね。実際、僕は今の方が楽しいもん。
たとえば今はネット使えば、海外に行かなくたって海外のサイトなんかいくらでも見れて、海外の情報とか面白いものもいくらでも仕入れられる。
けど、それがいち早くできるのって英語の文章が読める人限定だよね。
英語読めない人は誰かが日本語に翻訳してくれるのを待ってなきゃいけない。
リアルタイムで情報にアクセスして、リアルタイムで楽しむことができるのは英語できる人限定だよね。
「いや、別にリアルタイムじゃなくていいし」って思うかもしんないけどさ
それアトラクションの前で長い列作ってアトラクションが開くのじっと待ってんのと同じやで。
ファストパス持ってる人がその隣ばんばん通っていくの。そのファストパス持ってる人だけが乗れるやつとかもあんの。
待ち続けてやっと自分の番になって乗ってみたら「ん?これ本物?なんか違和感あるんだけど。」とかたまに思ったりするわけ。
ファストパスずるいなー、いいなー、って思うでしょ。絶対持ってた方がいいでしょ。
リアルタイムじゃなく入り口は日本語の翻訳文だったとしても、そこから辿って生の資料なりデータにアクセスできるってめちゃめちゃ強いし、何より楽しいと思うよ。
外国語に限らず古文だってそう
僕は今古文好きで、教えてもいるから
「古文って将来何の役に立つんですか~?」
ってよく生徒に聞かれるんだけど(ついこのあいだも聞かれた)、聞かれる度に
(役立つとか、そういうんじゃねぇんだよなぁ...)
っていつも思う。
そんな役立つ文章あんまりないよ(笑)
仮にあってもいらないでしょ「平安時代のハウツー本」
どこに需要あんのよ。
『現代を生き抜く力(執筆:平安時代)』
いらんいらん。絶対いらん。
そんなの古文に求めてどないすんねん。
だいたい古文で描かれるのなんざ立派な人の立派な出来事ばっかりじゃなくて、立派っぽい(地位にいる)人の、わりとどうでもいい日常の出来事とか恋愛事情とか、案外親近感わくものもいっぱいあるんだよね。
逆に時代背景とか考え方違いすぎて
えっそこ、そういく!?
みたいなのも結構面白いわけで
だんだん読めるようになってくると
YoutubeとかTiktokとかみて
こいつらアホやーwくだんねぇww
とか思うのとおんなじ感覚で
古文読んで
こいつらアホやーwくだんねぇww
とか思えたりするわけ。
鴨長明、核心つきすぎてやばいww
とか思えたりするわけ。
個人的には時代越えてそれ思えるって最高に楽しいと思うんだけどね。
そりゃ動画見るよりはちょっとめんどくさいんだけど、むしろ逆にそこがいい!!みたいな。
ちょっと何言ってるかわかんなくなってきたね。
とにかく勉強できたらできた分だけ、自分が楽しめる領域って広がっていくと思うんだよね。
逆に僕なんか今のところITとかプログラムとかは詳しいことあんまわかんないから、IT関連のWeb記事とか読んでもなーんもわかんないわけ。アホみたいなツラひっさげて字面追っかけてもピンと来ないわけ。そんなとき、
わかる人にはきっとさぞ新鮮で面白い情報なんだろうなー
ってちょっと悔しい気持ちになったりするのね。
情報格差って言うけどさ、それって機器とかその扱い方の問題以前に、広い意味で学力によって生じる部分がはるかに大きいと思うわけですよ。
もちろんそれが世界の全てではないけれど、義務教育で習う5科(実技含め9科)ってかなりの領域が確保されてると思う。
その科目を「知ること」だけじゃなくて、その科目を「知ること」で「知れること」まで含めると相当、もうめっちゃめちゃ広いと思うよ。
勉強、つらいときもあるかもしんないけど。それってこれから楽しめる場所をばんばん押し広げてるってことだから。
だから、改めて
勉強、できた方が楽しいよ。
共感してもらえたら嬉しいんだけど、なかなか思うようにそうもいかないから難しいよね(笑)
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