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春のお能(1):風景としての桜
日本人は昔から季節感を大切にしてきました。 お能にも、季節を感じられる演目が多くあります。
今回は春に上演されることの多いお能をご紹介します! 春はやはり「桜」です。
【風景としての桜】
・熊野/湯谷(ゆや)
(※喜多流では湯谷と書きます)
時の権力者である平宗盛(たいらのむねもり)の愛妾の熊野は、母の病状が思わしくないため帰郷したいと宗盛に訴えますが、今年の花見までは一緒にいるように、と聞き入れません。 熊野が花見の宴の席で舞を舞っていると、急に雨が降ってきて桜の花が散ります。これを見た熊野は母を思う和歌を詠み、宗盛の心を動かします。そしてついに帰郷が許されたのでした。
その歌は、桜の花が散るという儚い情景と、母親ともう会えなくなるかもしれないという寂しさを見事に描いたものでした。
母からの文を読む場面、作り物の牛車に乗って花見に行く場面も、美しく有名です。
『熊野』のあらすじ・見どころはコチラ (能サポ NOH-Sup 能楽鑑賞多言語字幕システム )
(「熊野」のイラスト)
・桜川(さくらがわ)
九州日向(現在の宮崎)の桜の馬場というところに、母と娘・桜子(さくらご)が貧しく暮らしていました。母を楽させるために桜子は身売りし、ショックを受けた母は娘を探す旅に出ます。3年後、寺に弟子入りした桜子は、住職とともに花見へ向かいます。その場所は、常陸(現在の茨城)の桜川。
そこに一人の狂女が現れ、桜川に落ちる桜の花びらを網ですくっていました。その狂女こそ、桜子の母親だったのです。 桜子と母親は故郷から遠く隔たったこの桜川で再会し、二人は連れ立って帰って行きました。
「桜の馬場」「桜子」「桜川」・・・など桜づくしの演目です。
母親が語る桜が散っていく情景や掬い網(すくいあみ)という小道具を使って花びらをすくう姿は、「突然いなくなってしまった自分の娘である桜子」と「川を流れていく散った花びら」を重ねた母親の娘を想う気持ちが感じられます。
(観世流大成版謡本「桜川」のイラスト)
「熊野」ではいつ別れるかもしれない母親を想い、「桜川」では突然いなくなってしまった娘を想い、主人公たちは暗い気持ちで登場します。
両方の演目に共通するのは、美しい桜の風景と主人公の憂鬱な心情が対比され描かれているところです。
今回はよく上演される演目をご紹介しました。
今年の桜は終わってしまいましたが、桜が散る儚さを美しく表現した作品ですので、機会があればぜひご覧ください!
次回は、お能らしく「桜の精霊」や「神様」が登場する演目をご紹介します。