ヒノ|うつ病に奪われた人生
こんにちは、見知らぬ誰かさん。 日本人は生涯で15人に1人がうつ病になると言われています(厚生労働省)。うつ病の私にしか伝えられないことがあると思い、noteの作成を始めました。20歳にうつ病と診断され、現在24歳。根本的な原因となっている北海道から家出して上京し、そこから2ヶ月半で生活保護へ。うつ病との向き合い方、家出のやり方、生活保護等を心の余裕がある時に私の人生経験を基に更新していきます。 うつ病の癖になんでnoteが書けるんだという意見もあるかと思いますが、それも記事の中で追々説明していきます。
こんにちは、見知らぬ誰かさん。この記事を開いてくれてありがとうございます。 ガチャを回すのは親そもそも親ガチャとは カプセルの中身は子ども 私はこの言葉に以前から違和感を覚えています。 精子というコインをガチャマシーンである母体に注ぎ、そこから出てくるのが子どもなのではないでしょうか。 中身を選べないのが親、持ち主を選べないのが子ども 親がガチャの中身をどう扱うかによって、子どもの今後が決まるのではないでしょうか。 質素な子どもが生まれたとします。所作を美しく育てた
こんにちは、見知らぬ誰かさん。この記事を開いてくれてありがとうございます。 バイト、やめました。バイトを始めた理由 私は生活保護で暮らしており、月に自由に使える金額が2万円です。月に1.5万円までは控除されないため上限ぎりぎりで働いてみようと思いました。思ったのです。 最初は問題なく働けた 私はキッチンの厨房に応募し採用されました。皆が優しく、わからないことは聞けば教えてくれる良い環境でした。 マネージャーさんもうつ病を理解してくださいました。 週2日2時間のバイト、
こんにちは、見知らぬ誰かさん。この記事を開いてくれてありがとうございます。 私は空港まで同居人に迎えに来てもらいました。知人の家で一晩過ごした翌日、私は公共施設をあっちへこっちへ梯子しました。 各公共機関は他の機関について詳しくありません。いただいた情報が間違っており、徒労に終わることもあるかもしれません。ですが歩くことをやめないでください。その先には貴方が歩き続けることでしか得られなかった成果や幸せが待っています。 家出後の手続き捜索願不受理届 捜索願を出される可能
こんにちは、見知らぬ誰かさん。この記事を開いてくれてありがとうございます。 はじめにー私が家出を決めたきっかけー私は8月に大切な妹の振り袖姿を見て、9月に親友の結婚式を見た翌日に家出を決めました。もうこの家でやり残したことはないと思い、その日のうちに元々来ていいよと言っていた友人に連絡し、飛行機を予約しました。 その翌日から自宅に一人だったので荷物を詰め込み、次の日にはバスに揺られ、新千歳空港へ。数時間後には成田空港にいました。 家出までにすることしばらくは家族と会わない
こんにちは、見知らぬ誰かさん。この記事を開いてくれてありがとうございます。 タイトルにあるように私には沢山の伝えたいことがあります。 まずは自己紹介をしましょうか。 自己紹介20歳でうつ病と診断された現在24歳。 うつ病のまま大学へ通い、両親に連れ戻され、なんやかんやの果てに家出した。 ーーその先に待っていたのは生活保護。 うつ病の人、今がつらい人、それ以外の誰かさんへ贈ります。 あわよくば、私の人生が誰かの役に立てばいい。 私の人生の分岐点小学5年生(11歳)