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火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百十七日 8/3

きのうの日誌はじつは書きかけなのだが、毎日続けることのほうを優先するので別のことをかく。)

第二百十日でも触れたが、火乃絵は文学と呼ばれるものに対してひとつしたの段階にいる、ひのえが文学と出会ったのは十七歳で original の65th 文化祭がおわってからのことである、それまでに中学高校と5年間していた文実をもういちどということでしぜん火乃絵は火乃絵が文学を知らなかったときの火乃絵にとどまっている。——

ロクジュウゴの仲間とは文学と出会ってから通じれなくなっていた(通じれなくなって文学に出会ったともいえる)、文実をしているときは文学と出会っていなかった。ブンジツはみんなでするものだ、文学はひとりでするものだ、このふたつは相容れない、——ふつう水と油といわれるふたつがひのえは織姫と彦星であってほしい、一年にいちどのめぐりあいのようなところに文化祭がある、七夕の祭、そして、『銀河鉄道の夜』のケンタウルス祭が。———

文実をしていたとき、火乃絵たちはみんなの中でおのおの独りだった、ひのえはじぶんではジョバンニみたいだったし、ザネリもいたし、カムパネルラもいた、文化祭は一つのようでみんなにとってそれぞれであり、そういうものとしてやっぱりひとつだった、さみしくなってさみしくなってさみしくなっていった先のどんづまりのところで——絶叫もあれば発狂もあった——さいごにどこかみんなのいるところにいた、それが火乃絵たちの知る文化祭のフィナーレだった。——

文学は、こんどそれをみんなとではなくひとりでやることだ、仲間はいるとおもえばいる、いないとおもえばいない。——それとブンジツのどこがちがうのだろう?

十七歳の火乃絵は文実のない絶望の淵でサリンジャーやドストエフスキイや宮沢賢治に出遇った、文実を見つけたとおもった、けれどしだいに文実と文学とを訣けていった、それがあらゆる災禍のはじまりだった、つまり火乃絵は文実も文学も見失った。———

文実は、偶然のめぐり合わせから中学生の火乃絵が摑みとった光だった、高校生になるかならないかのときその光を失いかけた、そして白痴の絶望の淵でもういちどその光を摑んだ、十七歳の火乃絵が『銀河鉄道の夜』や『カラマーゾフの兄弟』に文学の光を見出だしたときのように。

それは夢だった。——

ひとりの夢、みんなのいる夢。後者は多くあきらめねばならない、そこであきらめたひとが文学のスタート・ラインに立つ人だ、なんということか! 火乃絵はいちどみんなのいる夢が叶ってしまった、ナンセンスが実現されてしまった、湖の上を歩き、夢の鰯をたべてしまった、けれどそれは塀の中のできごとで、外では通用しない、そうして火乃絵だけでなくそれを体験した仲間はそのことを外のひとたちに語らずに生きてきた、言ったところで傷つくだけだからだ、胸にしまっておけばよい、それでよかった、ただ、どうしてだか、もう二度とあのときのように生きることができない、何かが足りない、足りない、足りない、

火乃絵はたぶんほかの仲間よりひとあしさきにブンジツいがいのすべてに絶望してしまった、いくぢがなかった、それはたしかだ、かといって何をやってもあのときに比べたらじぶんがインチキをしているようにしかおもえなかった、心も体も次第に壊れていった。

火乃絵の知るかぎり、文学のまえにブンジツをもった人はいない、そしてほかのロクジュウゴの仲間のように文実をもったものは、その文化祭のあとで〝ただの人〟として何も語らず地に足をつけて生きてゆく。——そのどちらでもない火乃絵は、文学にも文実にも落第しているのだ、ひのえはあの文化祭のフィナーレを体験してもなお、大人になることができなかった…

そんな愚物のくせ、いまその仲間たちに向かってこういっているのだ、〝おまえたちは切符を失くしていないか?〟

文実にはワナがあった、それはいつでも「あれは塀の中での出来事。しょせんは中高の学校行事」といえてしまうこと。「たしかにとくべつだった、けれどそのとくべつは学校の外じゃ通用しない」。——

火乃絵は学校がキライだった、祭のときいがいは。はやく塀の外に出たかった、それはいまも変わらない。ここは塀の中だ、きゅうくつすぎて呼吸ができない、あの時もそうだった、だから文実をはじめた、ロクジュウゴをはじめた、その瞬間から街も牛乳も夜も風もみんなロクジュウゴの匂いがした味がした体温があった痛みがした、生きていた、生きていた、——生きている!

「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしに本当の世界の火やはげしい波の中を大股に歩いて行かなければならない。天の川のなかでたった一つのほんたうのその切符を決しておまえはなくしていけない。」

——『銀河鉄道の夜(第三次稿)』宮沢賢治 より

水無月廿五日

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