言葉の重み
ある日のこと。
私が家事をしている時に妻に家事を手伝ってと言った。妻は手伝えなかったのだが、そのあと私は(なんで手伝ってくれないの…?)と沸々と苛立ちが湧いてきた。
不思議なものだった。
それまで家事をすることに抵抗はなく、気持ちはとてもフラットだったのに、その言葉を投げかけたあと私は苛立っていた。
言葉、とはそういう性質というか影響力がある様に思える。
勿論周りに対しての影響力もそうだが、自分自身に対する影響力も無視できない程だろう。
口や文章から放った言葉は自分に返ってくる。
それは周りからの反応という形だけではなく、自分自身にもまるで水に色のついた水滴を垂らす様に波紋となり色をつけ、自分に返ってくる。
そういう影響力がある。
言葉に引っ張られる、という表現も適しているだろう。
それは口から出た言葉だけではなく、文章として書いた場合も同義ではないか。
SNSでも何なら日記でも、後から読み返せる分下手をすると口から出た言葉よりも影響力があるかもしれない。
そういった口から出たものも自分の書いた文章でも自分に返ってくる。
それは良い意味でも悪い意味でも然りだ。
言葉とはそれ程の重さがある。
だが言葉にしない、という選択肢ばかり取るのもまた考えものだ。
言葉にしなければ伝わらない想いやわからない事も沢山ある。
だからこそ言葉を吟味して言葉を発することが大事なんだろうと思う。
言葉を甘く見てはいけない。
しかし言葉を押し殺してもいけない。
だから言葉の重みを背負って生きていくのが肝要なのではないか。
言葉は重いけど素敵なものだと、忘れないようにしたい。