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朝日通り(2)

朝日通りの終点でWさんがいいます。「当たり前だけど、沖縄返還まで沖縄に国道はなくて、返還の年に、本土と結ばれた『海上の国道』が、これなんです。

そういえば、大阪から鹿児島まで走ってた特急の名前も、海の向こうの『なは』でした。名前が公募された当時、那覇はまだアメリカ占領下だったんです」。

港まで歩いてきた私たちは、ここから850キロメートル先にある風景を、人や暮らしを想像しながら、海を眺めました。

「沖縄返還に高揚していた半世紀前の空気を、私たちは、忘れちゃいけないんです。道は、今もつながってるんですから」。Wさんがポツリといいました。

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皮膜
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