「分からない」という敬意
うちの子が通っている幼稚園がとにかく素晴らしい。でも、「何が素晴らしいか」ってのがうまく言葉にできない。というより、「分からない」が合っている気がしていて。
参観やお迎え等で、幼稚園に行くたびに、すごいなぁと思うことは何度もある(先生たちの関わり方とか、環境とか)。でも、僕には分からない「すごさ」も秘められている気がしていて。だからこそ、毎回幼稚園に行くのが面白いんだけども。(もちろん、我が子の幼稚園での振る舞いも面白いです)。
今、読んでいる本に「未知な世界を持つ他者に対する畏れ」って言葉が出てきて、色々と繋がった。僕は幼稚園の先生に敬意を抱いているのだ。こんなにも、うちの子が嬉しそうに通う幼稚園には、どんな秘密があるのか分からないし、分からなくていいのかとも思った。相手のことを「分かった」と思うってことは、本当は何も分かってないのだとも思っている。分かろうとする行為は、面白いんですけど。
昔から言語化するのはあまり得意ではなく「あなたの言うことは、こう言うことね。私にもそんなことがあって…」と言われた時は、すごく悲しくなった。「あの子はこういう子だから、こうすればうまくいくよ」と先輩に言われた時は、なんだかなぁと思った。
だから自分が「分からなさ」も大切にしていきたいと思ってるんだと改めて感じたので、ここに記しておきます。