想い出のカフェロワイヤル
お題……カップ一杯のコーヒー
「ああぁコーヒー飲みたいぃ。
ねぇ、旦那様は?」
聞こえないふりをしている?
「美味しいコーヒー飲みたい!」
「僕も飲みたいなあ……みっちゃんのがぁ」
光子は仕方なく立ちあがると、旦那の髪の毛をくしゃくしゃにしてキッチンに向かった。
暫くするとコーヒーの良い香りがしてきた。
うん? 甘めの豆だ。これを使うときは決まってあれだ。
「奏~奏さん~来て!」
「はいはい!」
準備は整っていた。
「タッチ交替ね」
ふたりでゆっくり味わう。
想い出のカフェロワイヤル。
「光子……おいで」
「奏……」
寝室の扉が静かに閉まった。
********
今日光子は、帰りにビールを飲むことを楽しみに残業を頑張った。押し付けられている事は百も承知だったが、それは気にならなかった。
何故なら、お気に入りのカフェに寄る楽しみが出来たからだった。
夜はカクテルも出すこの店は、三十路後半の女がひとりで入っても、物欲しそうには見えないのが嬉しい。それにマスターが好みなのだ。他愛もない話しを聞いてくれるのも、華やいだ気持ちにさせてくれる。
店に入ろうと扉を開けると、マスターが中から出てくるところだった。
「今晩は」
「いらっしゃい。今日は残業?」
「ええ……何かとやらされるのがこのお年頃で。まあ、急いで帰る理由もないしって、えっと、もう閉店時間でしたっけ?」
マスターは店の立て看板を引っ込めながら、
「あれ? 知らなかったかな? 月一第三金曜は早仕舞いなんだ」
「そっかぁ、知らなかったです……残念……」
マスターは咄嗟に、
「あっ! 良いよ。別に出かけるわけでもないし入って!」
「本当? 本当に良いんですか?
なんだか悪いみたい」
「駄目なら誘わないから、気にしないでね」
光子はマスターの「誘う」の言葉に反応してしまった。そんな自分が恥ずかしくて、今更だが頰が熱くなるのを感じていた。
光子は、そんな自分を気付かれないよう俯きながら店に入った。
「何飲む?」
「う~ん マスターは?」
「今は営業時間外だからさ。名前聞いてもいいかな? 僕は笹山奏取り敢えずよろしく」
「えっ、あっ私は小山光子です。
よろしくお願いします」
「光子さんかぁ」
「平凡でしょう? かなでって、とても素敵ですね」
「ありがとう! でもね、大概の人は女の子と間違がえてさ。全く面倒くさい名前をつけられたもんだよ」
「それは贅沢な悩みですよ!」
「そうかなぁ、そうは思えないけどねぇ。 でさ、実は今ね、コーヒー入れよと思っていたんだけど。どう? 飲む?」
一瞬コーヒー?とは思ったが、
「頂きます。何系?」
「うん? まあ敢えて言うならナポレオン系だね」
ナポレオン系? 聞いたこと無い。何か特別な香りとかするのかも。
ふと、マスターと視線が絡む。
光子は、慌て視線を逸らすと、
「ナポレオン系なんて……どんな味が為るんですか?」
奏の心を光子の仕草が静かに煽る。奏は微笑みながら、
「光子さんは、カフェロワイヤルって知ってる?」
「カフェロワイヤル? 知らない。凄いコーヒーが出てきそうですね」
奏は声を立てて笑いだした。
「凄いよぉ! さあコーヒーも落ちたし、後は角砂糖にブランデー、ライターそしてロワイヤルスプーン。カップで準備完了!」
奏は店の照明を小さく絞った。
「カフェロワイヤルはね、ナポレオンが愛した飲み方なんだって。
「王家とか、貴族とかの飲み物」って言われていてたらしいんだ。
確かにその頃ブランデーなんて、庶民にはとても手が届かなかったからさ。角砂糖にブランデーを染みこませるなんて贅沢でしょ。
そして染みこんだ砂糖に火を付けるんだよ。そうすると青白い炎が砂糖を溶かしていく。なかなかセクシーなんだよ。その光景」
そう言い終わると、奏は作り始めた。
ブランデーの香りが甘く優しい。
青白く綺麗な炎に目を奪われた。
角砂糖が溶けていく……
そしてコーヒーと交わる。
セクシーの意味が理解できた。
熱に浮かされ溶かされていく。
ひとつになる心地よさが脳を犯していく。
カップ一杯のコーヒーがこれほど
魅せてくれるとは。
美味しい!普段お砂糖なんて入れないのに、この甘さとブランデーの香りが癖になりそう。
「美味しい!物凄く!美味しい」
「よかった! 気に入って貰えて
嬉しい」
光子は満足していた。
ふたりだけの豊潤な時を刻めたことに。
「奏さんありがとう! 今日はとっても楽しかったです また来ますね」
奏は笑顔で、
「待ってるよ。お客様として……ではないみっちゃんを」
「あら?そんなこと言って良いのかしら?」
そしてふたりは……
終