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近況報告
この記事は本来一月下旬に投稿するものだった。にも関わらず、二週間ほど遅れてしまった。先送り癖のある私の欠点だ。
インフルエンザ
東京旅行から帰って帰りの夜行バスにてインフルエンザを発症した。
おそらく密閉されたバス空間にインフル菌をばらまいてしまったことが容易に想像できる……本当に申し訳ないことをしたと深く反省
バイオテロしてごめんなさい。
インフルエンザが治ってからの私の行動は沈黙。何もしない。強いて言えば仙台に行って祖母の介護を十日間した程度。休学した後ニート経験一年半、学生期間を活かした経験を積む機会もなく、学生期間を棒に振って人の立場や利害だけの短絡的判断に終始した。
要するに独善的で無知と偏見に満ちているのだ。抽象的な人間関係に回答や意味を求める。おこがましい合理性で他者を採点するような愚行に、我ながら呆れずにはいられない。
呆れるからといって何も変えず現状維持に甘んじている自分も大っ嫌いで、今からでも変えられるものはただちに直したい。だからnoteを通して自分の気持ちや思索をまとめる習慣を定着させることにした。
今は通信高校行っているがほとんど引きこもっている状態で、休学していた頃から何も変わっていない。正直に言うと向き合うことが怖い。このnoteはニート脱却日記としての側面を持っている。就活頑張らないとなァ……。
性格診断をしてみた
話は変わるが少し前に流行ったMBTI診断をやってみた。
結果は仲介者(INFP-T)
内向的で理想と現実を混同する傾向がある的なことが書かれていた。要するに社不ってことですかね……?
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職業生活において意味と目的に執着しています。創造性を表現し、他者を助け、自らの価値観に忠実でいられる環境で活躍する傾向があります。カウンセリングや教育、執筆、芸術分野のキャリアなら、豊かな想像力を活用できるでしょう。でも、理想と現実とのバランスをとりながら、自分に合った仕事を見つけるのは試行錯誤の連続となる場合があります。理想主義と実用性の境界線(バウンダリー)を引く方法を学び、自己啓発を続けてください。
自己啓発を続けてくださいなんて言われたらこのままでいられないよなぁ!?知性の磨き方とかインスピレーションの源みたいなものがその辺に転がっていないかな?まずは理想を見て目指す指針を明確にすることから始めたい。そういう模倣できる人を求めて創作コミュニティに所属しても良いかもしれない。
読書感想文
今月の課題図書はこちらの書籍だ。
ある村に預言者が現れて少年に告げた。この村から勇者が現れる、と。少年は青ざめた。しかし、回りの人は勇者になるのは少年アレスに違いないと祝福して村から勇者養成学校へと送り出された。
一方でアレスは全く才能がないと学校中でバカにされたが、それでも彼は諦めずに勇者を目指した。継続する美しさのような、一つの行動に詰まった想いは一つではないことを描いている。
後に勇者パーティーになる戦士であり貴族であるレオンは学園時代のアレスに言う。「貴族の特権は臣民を守る義務のもとに成り立つ、平民であるアレスは才能もないのだから勇者になる資格がない」と言った。他の貴族は遊び呆けていることに憤慨したが、アレスだけは真剣だったと懐述するところから始まる物語は、魔王討伐に際して死んでしまった勇者アレスの業績を讃える英雄譚を編纂するために、彼を知る人にとって勇者アレスとはなんだったのかを問い直される構成になっている。
結果に左右されない決意から何度も挑戦して、自分の芯を貫き通す。それは言うは易しやるは難しの典型例だ。答えの無い世界と対峙して孤独を感じた人のもとに届いて欲しい一冊だと感じた。大きな問題と対峙する時、周りの人は無理だろうと言う。それでもどうか一回の失敗だけで自分を否定しないで欲しい。向き合うのは一人ではないんだよという言葉の処方箋のような魅力に詰まった一冊である。
人は都合の良い方向にしか考えない。冷静に考えず、そうであってほしいという願望を捨てられない。でも、それは仕方がないことなのかもしれない。
書籍内でも述べられているが、この上述の一文に完結する。多くの一般人にとっては他人事で、いざ目の前に困難が現れてパニックになる。それまで徹底的に他人事を貫いて、当たらないでほしいと思いつつ具体的な行動に移す人は少ない。作中ではそれでも何気ない生活が尊いもので、営みを守るために冒険者になって魔物と戦うという内容で思わずハッとさせられた。それはスマホ社会の現代を風刺している向きもあるのかもしれない。
スマホボケ
他人事のように考えて実際に対峙することを避ける世界の一つがインターネットだろう。たとえ電子の世界に場所を移しても人の営みは変わることなく続いていくはずで、無機質で信頼ならないネットの情報などと言う人も随分と減った。多分これからも変わることなく日々の人間模様が続いていく。コロナ禍の中で行われたゲーム内のお葬式についてNHKの特集を見た時に、無関心な他人事に上っ面だけの言葉を並べて一体になる空気感にナチスの洗脳めいたものを感じた。
相手を想って行動するひたむきな姿勢は場所や時代を超えて普遍的なものなのかもしれない。でも、その善意を貫くために過激な世論形成がされてしまったら怖い。インターネットが生活の中心に溶け込んでしまった現代では、簡単に情報操作を受けてしまう気がする。以前何かの議論命題で「シリコンバレーに倫理をどう説くか?」というものがあったが、「シリコンバレーが倫理をいかに作り替えるか?」という設問のほうがしっくりくる。デジタル依存症は膨大なビッグデータによる減点方式の視点から身を隠すための自衛策だと思っている。最適解は自分の大切に思ったことを言語化して文章表現に慣れること、空間把握能力の回復だろう。簡単なカウンセリングございますして風景写真の撮影に凝ることや情報カードをつける習慣の定着、読書を通した知らない事を知る快感に触れるなど、最終的に知らないストレスに耐え続けて試行錯誤を繰り返せる体力が求められるだろう。