パートナーは双極症【身体を脱いでも命は続く】
ユキが亡くなって半年が経った。
セラピーを受けながら、少しずつ、少しずつ、差し出された現実、落としてきた事実を拾うことをして、パニック症状が出ることも激減した。娘たちのことも、元夫とのことも、自分自身のこともひとつずつ、向き合っている道半ば。
あらゆることが同時進行の中、胸の奥にずっと無念さと悲しさ、寂しさが、後悔が居る。そして何故かわからないけどイライラしていた。ユキに心の中で話しかけない日はなくて。当たり前といえば当たり前・・。
無意識だったけれど、どんな形でもいから彼を感じたくて、彼のエネルギーをダウンロードして身体に不調をきたすことも。
『ユキの言葉を聞かせてほしい。』その想いが、もう抑えられなくなった。
『ユキは今穏やかなところにいるのだから、ユキのペースで振り返ってほしい。もう私のエゴを押し付けてはいけない。だから今じゃない。』半年間のこの想いも本当。でも、そんないい子の想いだけじゃない。
魂は永遠という言葉では知ってるけど、身体がない、その寂しさ。ユキへの想いを整理して進まなくてはいけない。手放してあげないと、ユキは成仏できない。
そうやって、『ユキが恋しい』を抑えて、自分に課しているものが多くて苦しくて仕方なかった。
NYの霊能ママ、メイコさんに再びセッションをお願いして、ユキと繋がっていただいた。
ーーーーーーいくら注いでも、注いでも大切にしたかったものには届かない。指の間からすり抜けていく。「生きていてくれてありがとう」そんな、ある人には希望となるその言葉が、ユキを苦しめる。大切なものから壊れていく。私の中の絶望。私の観念が・・ひっくり返った。
絶望が希望に。
私は何が辛くて、何にイラついていたのか
ユキの身体がなくなり近くに感じられないこと。それを味わいながら送る毎日が辛かった。それに加えてもう一つ、辛く感じていることにメイコさんのセッションで気づいた。
それは、ユキが「闇」として扱われることだった。周りからもそうだし、私もユキを、そしてユキと過ごした時間を「闇」として扱っていた。
それが辛かった。そんな自分や、それを映している外側を感じてはイライラした。
ユキはそれだけでじゃなかった。しょうもないくらいの優しさを持っている人。それをメイコさんに拾ってもらえて、彼の光の部分も私は感じていたこと、どうしようもなく好きだったことを思い出せたことが嬉しかった。共に心地よい安心感の中で過ごしたことも。
光を葬らなくてもいい。葬りたくない。ずっとずっと大切にし続けていい。頭に言い聞かせるのとは違う。内側の音を感じて、自分に許した。嬉しさが倍音のように溢れ出した。
自ら身体を離れるということ
自死をバツ、闇としたら、私とユキはただのヤバい人。私がユキを愛したことも、ユキが自ら身体を離れることを選んだことも、倫理的に考えたら正しくないこと。
でもどこかで、そうじゃなかったって感じてるのに、倫理観に寄せないといけない、バツのことって捉えようとするから辛くてイラついてた気がする。『いや、違うし。その面だけじゃないし』って。苦しかったし、辛いし、こんなの耐えられないって思っていたけど、『でも』なんだよ。
優しすぎるユキを癒したかった。癒されることを願った。それはユキにとって身体を一旦離れるという形だった。
私は「生きたい」。ユキは「身体を離れたい」。そこはどうすることもできない違いだった。私の中にある「一緒に生きたい」という願い、「ユキが癒されますように」という願い。重ならない願いだった。それに足掻き続けた。
「深いところで、ユキが身体を離れることを許したんだと思う」メイコさんにそう言われた。・・・・私は手を離しながら、自分に寄り添ったのだと思う。
メイコさんから、今ユキが楽なところにいること、幸せであること、enjoyしている自分を許容できていることを聞いて、心底嬉しかった。本当に、本当に嬉しかった。『ユキが癒されますように。』と、とてもナチュラルに、いつも祈っていたから。楽しかった日の夜も、しんどい日の夜も。身体を離れても、ずっと。
願いじゃなくて、『癒されますように』は祈りだった。
ユキが癒されることを祈り、ユキの私に対する最大の甘え(身体を離れること)を深いところで許したというその真実は、重く痛いものではなく温かなものだった。
メイコさんに、私もユキも救われた
メイコさんに間に入ってもらって、きっと随分多弁になっていたんじゃないかな、ユキは。
メイコさんの器の大きさに救われた。誰にも理解されない私たちだった。正しさで切れば、どこからでも切られて当然で。でもメイコさんは違う。私もユキもメイコさんと言葉を交わしながら、思い出していくこと、気づいていくことが多くあった時間だったと思う。
私は自分の祈っていたこと、深いところで自分に何が起きていたのかを気づき、思い出していく時間になった。
ユキはこのセッションの間に、ふたり出会い、共に時間を過ごし、身体を離れてもユキを恋しく思い続けている私を観じながら「生きるということの素晴らしさ」が入ってきている、プロセスではあるけれど「また肉体を持って生まれてきたい」そんな感覚に向かってきている、と。
肉体がなくなっても、学びがあって、終わりじゃない・・・。
注いでも注いでも、届くどころか壊れていく・・・そんな絶望が希望に変わった瞬間だった。祈りが、願いが、愛が届く。身体を離れることをあんなに・・・あんなに願っていたユキの、今の想いに、変化に、愛に、涙が溢れる。
私に向かっても、ユキに向かっても愛を持って向きあってくれる、言葉を届けてくれるメイコさんに感謝が溢れる。
温かくて大きな愛に包まれている。
メイコさんは、ユキの変化は私が注いだからだよって、すごいものを彼に与えたんだよ、どんだけ与え続けるのって言ってくださったけれど、
きっと「私の注いだ愛が」とかじゃなくて、メイコさんの愛も、私の愛も、ユキの愛も同じ。個々から溢れ出ているけれど、それは全体でもあるような。どれが誰からとか区別なんてつかない。
だから大きな大きな愛。安心感。静かで温かい。
3人の間で循環が起きて、そこからものすごく大きな光の球が出てきた、そんな感覚。魂が震えているのを感じる。身体の芯が微振動してて、でもこころは凪。
自分の本心をキャッチして、真っ直ぐであることは、こんなに温かなところにダイレクトに繋がることだって体感した。暗く重いものも存在する。それをあると認めて、明るく軽い方を感じていくことができる。
セッション後、24時間以上経っても今も温かな感覚に包まれたまま。
メイコさん、ユキ、本当にありがとう。
身体を離れたユキと身体を持つ私。
結の作業はきっと、これからも続く。