パートナーは双極症【周りを傷つけ進み、ユキを利用して】
溢れ出して止まらない感情を引き連れたまま、ユキがいないことに段々慣れていく生活。そうやって慣れていくことも嫌だった。手放さなくてはいけない、手放したくないが引き合う不安定さ。
変わっていく季節に残酷さすら感じた。光が、匂いが春を感じさせるたびに、「温かくなるまで・・それまで数ヶ月は」と思っていたことを思い出す。
春が来ることに希望を持って、次女と球根を埋めた。ユキが好きだった私の手作り味噌も仕込んだ。
球根の芽が土から顔を出す。味噌の発酵が進んでいる。温かい光。でもユキはいない。逝ってしまった。
周りを傷つけてでも選び進んだ道。
「非常識」
「もっと早くに手を引くべきだった」
「子ども達にトラウマを作った」
そんな言葉を、起きていたことの側面として、ニュートラルに受け止める余裕はなかった。自ら選んだこと全てにバツをつけ出す。ユキが亡くなった事実に塩を塗り込むように。
それでも見つめるべき内側が更にある。
ユキのことが大好きだった。誰よりも特別な存在だった。それだけじゃない私の陰。深層心理。
弱い私を認めたくなかった。
小さな私に「弱い」と言い放った母。私はそれが悔しくて「クッソ………」と、その思いを握りしめた。
母に対して「弱くない」を証明するために「死ぬことすら厭わない」そんな思いが私の奥にずっとずっとあった。
小さな頃から持っていた「なんでここにいるのか」「なんでこんなことしているのか」そんな漠然とした疑問。それと「死ぬことすら厭わない」その思いはセットになっていたように思う。
「死」をユキに突きつけられて…私自身、それを計ったことは過去にあったけれど…私の「死にたい」はユキのそれとは違うとわかった。
「弱くない」を証明するために、本当はどうしようもなく弱いのに、ユキを支えることで強くあろうとした。
弱くても許される状況を作るためにも「大変な」ユキといる事を選んでいた…。
元夫と離婚後、養育費の額を聞いた友人も姉も「いいよね。そんなにもらえるなら私も離婚するわ」そう言った。
そうだよね、と同意しながら、ダメなことなんだと思った。今のままの自分だと、与えられるものを受け取ってはいけないと。大変な私にならないと…。こころの奥でそれを設定していた。
思考では、「子ども達の当然の権利で、不当に請求もしていないければ、DVに関して慰謝料だって請求していない。言われるようなことはひとつもない。」そう言い聞かせて。
過去の思いはらしに、ユキを利用していた私の陰。深層心理。
周りを傷つけて進んだという事実。
ユキを利用していたという裏側。
己の闇を見つめ、今何を選ぶ?
もう十分味わった。
もう同じパターンは選ばない。
過去の思い晴らしで生きるのは終わり。
「大変な状況にいる私」も
「死をもって思い知らせてやる」も。
そしてここから…