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将来の夢を子供に聞くという行為

子供の頃、夢ってありましたか?

「夢」という言葉って、なんかキラキラしたイメージがありますよね。
その言葉自体が光を放つというか。
輝かしい、来るべき未来

でも、私はずっと抵抗したい気持ちがありました。

それは、大人が子供に将来の夢を聞くというシチュエーションにおいて、です。


私が初めて「将来の夢」を発表しなければいけなかったのは、保育園の年中さんだったと思います。
一人ずつ順番に発表してね、と言われました。

私はうしろの方で、先にクラスメイトが次々と発表します。
わからない子はわからないと言っていたと思いますが、少数。

今までそんなことを考えたこともなく、聞かれたこともなかった私は、強烈に焦りました。

だって、なんかすごく重要そう。
こんな短時間で何を答えたらいいのか、全然わからない。
でも、ここでそれなりのことを言っておかないと、自分の将来が台無しになってしまうような気がする。

わからないで済ませるか? 
それとも誰かの夢を失敬するか?
刻一刻と私の順番が巡ってくる。


誰かが「お花屋さん」と言いました。

( …… それ、使える!

私の順番が来て、つつがなく「お花屋さん」と答え、事なきを得た5歳児。

だって、可愛いお花を持っている女の子の図。
夢っぽい。
キラキラ。。

大人も満足でしょ?
「えっ?」とか聞き返されることもない。

他にも何人かの子がお花屋さんと答えていた。


年長さんになって、また将来の夢を発表する時期が来ました。

その年は、2回目だったから大丈夫だった。
そして人の考えを借りなくてもよかった。
だって、楽器の習い事をしていたから。

「その楽器の先生になる」
という定型文を言う資格を、既にゲットしていた。

別に将来、本当になりたいわけではない。
ただ自分には、大人から質問を投げかけられた時に返す、「答え」が用意できたというだけ。
本当に将来なりたいことを思い描いて、答えたわけではない。

大人が、今、その答えを要求するから、用意してあげただけ。
何になりたいかなんて、全然わからない。
将来の自分に聞いてほしい


その次に、公式に聞かれた記憶は小学校の卒業文集。

その頃は、すでに「人に聞かせる夢なんてない」ということを認識していたので、
「高校生編」と勝手にテーマを歪曲、
お洒落な制服がある高校に入りたいということを書きました。
本当にそういう理由で高校を選ぶ気はなかったけど、読んでて楽しい感じの話題にしてみました。

(余談ですが、時代は学ランからブレザーに移行する流れにあり、私の入った高校はいち早くブレザーを採用済み。
夏服に至っては、雑誌Seventeenにも載ったので、一応、夢は叶っている)

「一番偉いから総理大臣になる、社長になる」と書く男子がいる中、
6年生ともなるとしかし、友達の女子には現実的な夢を書く子も現れて、

感銘を受けた先生がいたから、私も学校の先生になりたい
(教育熱心な家に育ち、実際に教職に就いた)」

とか、

看護婦さんになりたい
(お母さんが看護師さんで、実際に看護大学を出て就いた)」

という子も。
そうなると自分の幼さを感じるわけですが、それはまた別の話で…


私が常々思っているのは、大人が子供に将来の夢を聞くという行為は、
大人の娯楽なのではないかということ。

子供にはタイプがあって、
夢を持つことに疑問すらない子と、
私のようにハスに構えてしまって、不惑の年を過ぎてもなお
夢って何だ?
と思う人間もいる。

それを一律、「将来を担う未来ある子供だから」ということで
夢があると思わないでほしい。
そして、それを聞き出してニンマリしたり、
「こっちのほうがいいんじゃない?」などと軌道修正しようとするのは
やはりどう考えても大人の娯楽だとしか思えない。

ますます夢を持つ気が失せるというか。
大人には夢がないんだということを感じてしまう。

ついでに言えば、「将来を担う未来ある子供」という考え方も
子供の頃にすごく違和感を感じた表現でした。
大人が時代を牛耳っているんだから、自分たちが頑張るぞーってやってくれないと! 
成長したら一緒に頑張って行こう!って言わないの?
なんか、バトンタッチして他人事という空気感が満載で。

ひねくれてますね。


さて、私の子供たちです。

上の子は将来の夢を語らない性格。
下の子は、その時になりたいと思ったものをすぐ口に出す性格。

この二人に、同じように将来の夢を訊きたいですか?

私はなるべく訊きたくない。
言いたいならもちろん聞くけど。
訊くことで、何かの芽を摘んでいるような気がして。


中学2年の時に、将来の職業について考える時間があった。

当時はバンドブーム真っ盛り。
音楽雑誌を読むことにハマっていたので、必然的にライターさんや編集者という方が身近に感じられた。

それで「編集者を職業にするには」という項目を、学校においてあった情報誌で読んだところ、

「狭き門」

的な表現で書いてあった。
私はチャレンジャーではないので、その情報を見た時点ですぐに諦めた。
一応レポートを書かなければいけなかったので、その情報を使ったとは思うけど。

仕事を決めることになった時に、なれそうなものになる、もしくは必要とされていることをする、
そういう考え方で生きてきました。

これを「夢がない」と言われてしまえば、そうだと思います。
ダメですかね?

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ひなた とりこ
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