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noteが書けないときは、ただ自分のために書いてみよう。

約1ヶ月間、noteと書評ブログの更新をストップして思い至ったことです。

投稿の有無に関わらず、朝の30分は執筆の時間と決めて一年以上コツコツやってきたので、書くことは毎日の習慣というか、完全に生活の一部になっていました。
(もちろん、寝坊してサボってしまう日もありましたが…)

一定期間「書くこと」から離れてみてまず思ったことは、書かなくても私の生活はなんの支障もなく回っていくということ。
大切なものを手放してしまったような感覚もありませんでした。

根性なしの自分がここまで継続できている時点で、書くことが好きなのは確かです。
ですが、ライター・編集者のようにそれ自体で生計を立てているわけではないので、書けなくなっても正直困らないし、興味・感心の幅がわりと広いので、やってみたいことは執筆以外にもたくさんあります。

「書くことをライフワークにすべく奮闘中」なんてプロフィール欄に書いている割には、書かなくても特に変わりなく過ごしていける…。
これは大きな発見でした。

その一方で、2週間もパソコンに触れずにいると、無性に書きたくなってくるも自分もいました。矛盾してますが…。

誰かに読んでもらうことが前提の文章は、例え日記のような内容であったとしても、考えなければいけないことがたくさんあります。

分かりやすい構成になっているか?
誤解を与えてしまうような表現はないか?
事実に誤りはないか?
読んだ人を不用意に傷つけてしまう内容ではないか?
読む人をネガティブな気持ちに引きずり込んでしまう文章になっていないか?

など読み手に何かを伝えるための手段であるからこそ、創意工夫が必要になってくるし、自分の状況次第ではそれが負担になったりもします。

でも、自分しか見ない文章であれば?
人に見せるのは憚られる汚い部分も、ぐちゃぐちゃでまとまりのない思考も、そのまま吐き出すことができます。

パチパチとキーボードを叩きながら
「あー、やっぱり私にはこの時間が必要だ。」
 と思いました。

書いている内に、自分の置かれた状況を客観視できるようになったし、言葉にすることではじめて心の奥底にあった本当の気持ちに気づくこともできました。

外に向かって書くこと (noteを書くこと) と、自分のために自分しか読まない文章を書くことは、似て非なる営みだと思います。

外に向かって書くのが辛くなったら、ただただ自分のために書いてみたらいい。

今回と同じような悲しい出来事がこれから先の人生で待ち受けていたとしても、書くことは私を助けてくれる。
そんなふうに確信しました。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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