「読まれること」か「書きたいこと」か
noteへの向き合い方について、最近迷いが出はじめました。
そもそも、私がnoteを始めた理由は次の通りです。
元々やっているブログのプロモーションもありますが、一番の理由はテーマに囚われることなく、
"自分の「書きたいこと」を書きたいから"
でした。
でも、何とか時間をやりくりして一生懸命に書き上げた記事を、多くの人に読んでもらいたい。
さて、どうするか?
私は、あることに今更ながら気づいてしまいました。
それは、noteには"読まれるジャンル"というものが明らかにあること。
私の投稿の中では
「ワーママとしての働き方」
「ワーママならではの悩み」
に関する記事が、読まれやすい傾向にあります。こちらの記事は、自分でもびっくりする程のスキ♡をいただくことができました。
でも、記事を振り返ってみると、自分の他の投稿に比べてすごく質の高い内容が書いてあるとは、到底思えない。自分の中では "渾身の一作" ではなかったのです。
なんでこんなに読んでもらえたのだろう?
いろいろと考えた結果、一番納得がいくのは「働き方」「ワーママ」というテーマ自体に需要があるから。
なるほど、これらのテーマについて書けば、もっと多くの人に読んでもらえるかも!
そこからしばらくは、意識的にこれらに関連する記事を多く書いてみました。
すると、どうでしょう。
毎回ではないにしろ、多くの人に読んでもらい、フォローして下さる方も短期間でグッと増えました。単純に嬉しいし、本当にありがたいことです。
でも、一方でこうも思ったのです。
多くの人に読んでもらうために、意識的に読まれやすいジャンルの記事を書くことは、私の本来の目的から、ずれているんじゃないか?―
これは、本当に書きたいから書いている記事なのか?
嘘は書いていないし、自分の心の内を素直に書いた。
でもちょっぴり、釈然としない…
あるいは逆にこう仮説を立ててみました。
実は私は、「自分の書きたいこと」を書きたいと思ってるわけではなく、書くことで誰かの役に立ちたいと思っている。
だからごく自然に、「多くの人が読みたい」と思える記事、誰かの役に立てるような記事を書きたいと考えてしまう。
何だか、こちらの方がしっくりくるような気もします。
でも、私がいわゆるライターを目指すのではなく、ブログやnoteといった自分の考えをある程度自由に書ける場を選んでいる時点で、それはやはり
"「書きたいこと」を書きたい"
ということではないのか?
書くことで多くの人の役に立つという意味では、ライターになることを夢見てもよさそうなのに、でも、自分はそうじゃない。
一体なにがしたいのか?
なんのために、誰のために書いているのか?
いよいよ、迷子になってきました (笑)
何の解決の糸口も見いだせないまま、こうしてつらつらと自分の思いを書くのも珍しいことです。
とにかく、書き続けていけば何か見えてくるかもしれません。
最近感銘を受けた本『さみしい夜にはペンを持て』の一節です。
迷いながらも、考え続け、納得のいく答えを自分の中で導き出すために、今日も私は書いていきます。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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