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お母さんの愛を受け取れなかった私
心と体の癒し家
うちむらあきこです🍀
前回に引き続き
母との関係について書きます。
暗黒の中学時代
お母さんと言えば
ずっと何十年も赦せなかったのは
私の気持ちを無視して
学区外の中学校に進学させたこと。
私の進学予定の中学校は
その当時荒れていると噂されていて
大切な1人娘が非行に走るのを心配した母は
住民票を移してまで
私を別の中学校へ入れました。
同じ小学校から進学した子は
片手に収まる程度
案の定一年生のクラスは
誰も知り合いが居なくて
友達もできなくて
私の人生の
〈暗黒の一年〉
と呼んでいます。
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あの時なぜ
私に相談してくれなかったのだろう?
仲間外れにされて
哀しい想いをしたのは
お母さんのせいだ
その出来事に加えて
母はいつも自分の話ばかり
私の話は聞いてくれない。
どうせ聞いてもらえない
そんな思い込みも
無意識に刷り込んでしまいました。
ターニングポイント
集合意識を学んでから
自分の未消化の感情を癒す機会に恵まれ
その度に小さかった私の
哀しさ
寂しさ
悔しさ
怒り
いろんな感情を再び味わって
統合
して無意識を綺麗にしていきました。
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私は小学3年生くらいまでの記憶が
ビックリするくらいなくて。
でも傷つきたくないから
自分で蓋しちゃったんだと思うのです。
〈統合〉したら
色々記憶が戻ってきました。
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保育園のお迎えはいつも最後
ある日迎えに来たお母さんは
汗びっしょりで。
当時車ではなく自転車だったから
早く迎えにと急いでくれたのでしょう。
自転車の後ろから
お母さんの背中見たら
汗でシャツが透けていて
そのシャツ越しに見たお月様が
すっごい細ーい三日月で綺麗だったこと。
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アーモンドチョコレートの
アーモンドは嫌いなのに
チョコがお家に入ってるみたいな
パッケージが欲しくて買ってもらって
チョコだけ舐めてお母さんに渡すと
『仕方ないな』
っていつも食べてくれてこと
そしてまた買ってくれたこと。
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お母さんはどんなに怒っても
私には決して
手をあげなかったこと。
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欲しいものは何でも叶えてくれました。
リカちゃんのおうちも
シルバニアファミリーも
修学旅行の一張羅も
振袖も
オーストラリアへの留学も。
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見えてきた母の愛の形
感情を〈統合〉すると
私は〈被害者意識〉を取っ払うことが出来て
俯瞰して記憶をなぞる事ができました。
そしてお母さんの気持ちにも
寄り添うことができました。
〈統合〉が進むにつれて
『あること』
に気がついたのです。
小さい頃から預けられっぱなしで
私はもっとお母さんと遊びたかったし
寂しかったし
私はもっと一緒に居たかった。
でも
お母さんは私の望みを叶える為に
朝から夜まで一生懸命働いてくれたのです。
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私は
『お母さんと一緒にいる時間』を
愛情の量として見ていたんだ。
でもお母さんは
私に貧しい思いをさせたくない
望むことを出来るだけ叶えたい
だから
『経済的豊かさ』を
お母さんは私に与えてくれていたんだ。
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私は自分の物差しでしか
お母さんの愛情を測ることが出来なくて
ずっと
〈私は愛されていない〉
と思い込んできてしまったけれど
お母さんは自分の楽しみも
全て後回しにして
私を育ててくれた。
とても とても
大きな愛情が在った事に
ようやく気づけたのです。
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その視点に立つと
お母さんが選択してきたことは
〈全て私のため〉でした。
私に最善の学校を与え
離婚して寂しい思いをさせないように
離婚しないことを選んだ。
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きっとお母さんも
悲しかったし 寂しかったよね?
生後3ヶ月の可愛い盛りの私を
保育園に入れて働きに行くのは。
自分も産後でしんどかったよね
おっぱい張ったり
仕事で疲れてるのに夜間授乳とか
キツかったよね…
お母さんが全て自分を後回しにして
私にしてくれたことは
ほんとうに大きな愛でしかない。
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そこに気づけなくて
40歳になろうというタイミングまで
お母さんに心の深い部分から
感謝してこれませんでした。
なんて私は大馬鹿者なんだろう。
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・
あと何年一緒に居られるだろう?
あと何回顔見せてあげられるだろう?
あと何回『ありがとう』と言えるかな?
私がこんな家庭の事曝け出してまで
あなたに伝えたかったことは
手遅れになって欲しくないから。
お母さんに心の底から
感謝できていない人がいるとしたら
それは早く向き合うべきだと
私は身をもってお伝えしたいのです。
私は幸いなことに
まだお母さんと一緒に居られるから
これから沢山感謝をお伝えしていける。
あなたがもし
ご両親に対して深い感謝ができないのなら
それは自分を否定する事にも繋がります。
子供を愛してない親なんていないのです。
あなたがご両親の愛を受け取れたら
本当に心から感謝できるようになりますよ♡
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