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【支援する】函館レポ③加害者支援の矛盾について
おはようございます☀️
社会福祉士のぽこです。
「もっと気持ちよく働いて、明日の自分にワクワクしよう!」がコンセプト。
このままでいいのかな〜なんてモヤっとする毎日から、ワクワクする毎日へ。
障害者福祉の現場から、時々ヨガの視点から、生きやすくなるための気づきをお届けしています。
◇加害者支援の矛盾について
今日のテーマは、加害者支援について。
函館少年刑務所の視察を経て感じたことです。
昨日の記事で、こんなことを書きました。
加害者を支援しながら、被害者を守る。
この矛盾が、一度罪を犯した人の社会復帰を支援する上でついてまわります。
私はこの難しさについて、被害者と加害者と第三者の三つのフェーズで考えるべきだと思っています。
加害者支援と被害者を守ることの、何がどう矛盾するのか。
そして、その矛盾と支援者はどう向き合うべきなのか。
今日はこの軸に沿ってお話ししたいと思います。
◇加害者支援の何がいけないのか
まず、加害者支援について考えます。
函館少年刑務所視察ツアーを開催してくださったNPO法人育て上げネットさん。
支援をする中で、犯罪歴のある少年を支援していることについて批判的な声をいただくことも多いそうです。
「加害者を支援するなんて、被害者が可哀想」
「罪を犯したんだから、苦しくて当然」
加害者支援に関するネット記事にも、このようなコメントが寄せられているのを目にしたことがあります。
このような言葉に対して、わたしは今まで「なんでそんなふうに考えてしまうんだろう」と、その意見に対して批判的でした。
しかし、最近読んだとある本をきっかけに、その考えに変化がありました。
それが、この本。
以下のシリーズの著者が書いたドキュメント小説です。
著者が実際に出会った少年をモデルに、具体的な事例として小説のように描かれています。
もともと「ケーキを切れない非行少年たち」で話題になった著者です。
このドキュメント小説では、少年たちの思いや葛藤、生きづらさが彼らのセリフとして書かれています。
ただ第三者から見た事実を書かれるよりも、実際の「言葉」として語られる生きづらさや分からなさといった彼らなりの主張。
これに触れることができる本でした。
彼らの主張はとてもシンプルです。
食べるために盗んだ。
触りたくて幼女を誘った。
お父さんの気を引きたくて家を燃やした。
そこには、誰かを殺したいほど憎んでいたなんてドラマチックなストーリーはなく、ただただシンプル明快な「こうするために、罪を犯した」がありました。
自分の望みを叶えるための手段が、たまたま触法行為だったに過ぎないのです。
◇誰も責められない
憎む、憎まれるの世界だったのなら、憎まれる側にも憎む側にもストーリーがあります。
そしてそこには、必ず事件に至るまでの積み重ねがあるはずです。
ずっと憎んでいた。
ずっと嫌だと思っていた。
だから、危害を加えた。
この書籍に出てくる少年に、そんなものはありません。
ただ毎日働くお父さんの気を引きたくて、困らせたくなってしまった。
そしてその手段が火をつけることだった。
この少年に、いったい何を反省させればいいのでしょうか。
この本では、少年たちのセリフと一緒に、その家族や周囲の人間の言葉も書かれています。
今までの生育歴や支援歴から物語に起こしたものだと思いますが、家族や周囲が今までどんなふうに彼らと向き合ってきたのかがよくわかります。
さらに、被害者のことも書かれています。
被害者の遺族や、時に被害者本人のセリフとして書かれる文章を読み進める中で、私が改めて感じたこと。
それは、加害者がいれば被害者がいるという事実です。
支援者として日々加害者のことばかりを考えていると、被害者のことを忘れてしまいます。
夢だった学校に通うためのお金を盗られ、返してとせがんだら殺されてしまった女の子。
「あの家はお母さんがいなくて大変そうだから」と昔から面倒を見ていたのに、衝動的な放火で火が移り自宅が全焼した隣人一家。
被害者の幸せな人生を壊しているという、紛れもない事実に改めて気付かされました。
函館少年刑務所で少年たちの更生を見て、「頑張って更生しようとしているのなら、それを受け入れる社会でありたい」と思ったこと。
その後にこの本の中を読んで、「加害者がいるということは、被害者がいるということだ」と気がついたこと。
この二つの感情に気づいて初めて、加害者を支援することの葛藤を知りました。
✅宮口先生の書籍。実はシリーズで3冊も出ています。
◇加害者と被害者と、第三者
この加害者支援の葛藤を知った時、難しさを感じたのと同時に、自分の立場を再確認しました。
現時点で、わたしは被害者でも加害者でもなく、第三者なのです。
少年が家に火をつけて隣家を全焼させたとしても、それがわたしの家でなければ被害者ではありません。
直接被害を被っていないわたしが、「被害者を守るべきだ」と加害者支援を批判する必要はないのです。
被害者と加害者の葛藤は、あくまでもその両者とその周囲の人間(支援者や家族、遺族など)の間でだけ発生することです。
そこに第三者が割って入って「被害者を守れ!!」「加害者なんて支援するな!!」と声をあげるのは、お門違いなんじゃないかと思います。
被害者は一生消えない傷を負ったからこそ、加害者を責めるか受け入れるか葛藤します。
加害者は一生消えない傷を与えたからこそ、自分の更生を受け入れてもらえない不安を抱きながら生きていきます。
この二つは、事件が起きてしまった以上、変えることのできない事実です。
では第三者=社会全体はというと、この両者をフラットに受け入れる姿勢でいる必要があるのではないでしょうか。
◇良し悪しを評価しない
社会として、被害者の傷も加害者の不安も受け止めること。
これができれば、被害者は「自分たちは被害者なのに虐げられている」なんて思いをしなくてすみ、加害者は「これから社会で生きていけないかもしれない」と諦めなくて済む。
あくまでも、社会としてその触法行為をした少年の良し悪しを判断するようなことはできないのだと思います。
被害を受けたわけでもない社会の第三者は、その少年や遺族に対して「どちらが正しい」なんて言える立場ではないのです。
いつでもフラットに、少年が頑張って更生したという事実を受け入れて社会生活に迎え入れる。
いつでもフラットに、傷を負った被害者の今後の生活を守っていく。
この二つのうち、どちらか一つを選ぶのではなく両方やっていくことが大切なんじゃないかと思います。
加害者支援について、皆様はどう思われるでしょうか。
わたしは支援者として触法障害者と関わることが多いので、どうしても加害者支援にベクトルが向き過ぎているかもしれません。
皆様なりの意見を考えていただくきっかけになれば嬉しいです。
ということで、今日は加害者支援について考えをお話ししました。
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