コラム 名前で仕事ができる・指名で依頼が来る人の「俺・私の水準」とスタイル 西尾とか忍殺とかのアレ
前に書いた事に加えて、まだあるかな、と思いまして。
世の中には腕の立つ人というのがいて、卓抜した技量を用いて信じられないスピードで仕事をしたり、短期間で驚くべき出来映えに仕上げてきたり、大体スピードや量がハンパなく、にも拘わらずどの仕事も質・出来映えが(プロとしての)平均以上をキープしていて、優れたコンセプトがあり、非常に勤勉で研究熱心、仕事の着地点として狙う場所の選び方や条件の見定め方が適確あるいは「この人ならできる(が他の人にはまずできない)」という水準にあり、つまり化け物です。
で、その化け物の領域になると、プロの水準が労力換算でかなり低いラインに降りてきていると思えるんですが、それが具体的にどのくらいなのかは想像が及ばないので措いておくとして、単に当たり前のものとして高い技術と超スピードでハイクオリティを実現できるようになった存在が何をし始めるのか、という観点でいきたいと思います。
恐らく、スピード・テクニック・クオリティ・作業量などなどが並外れてくると、ただ並外れていくだけでなく、何らかの形で「普通じゃやり切れない仕事」ができるようになります。多分。でなければ、「それらの条件が揃って初めて可能な仕事」とか。一言で言うとトップ・最先端・ハイエンド、そういったもの。
それとも、並外れた上で自分の「スタイル」や「テーマ」を持ち、それを追求していくとか。そうなると、どんな仕事も大抵のプロより優れた水準・出来映えで、しかも自分のスタイルが鮮明に表れる、というよりもそれは、並外れなければ完成させられない目標設定と出来映えを企画・受注段階から想定しすべての仕事で常態化している、と表現した方がいいのかもしれません。知りませんが。
そうした、プロの水準を越えてトッププロになっていき、スタイルを持ち名前がブランド化していく人達が設定する仕事の水準を「俺・私の水準」としましょう。
この水準で起こっている事は多分「質が高い」とか「スピードが早い」とか「量が多い」とか「出来映えが良い」とかそういう事じゃなくなっていると思います。職人的である場合はそうした出来映えに管理され大量生産を要求されるかもしれませんが、そうでない場合、つまり個性が出てスタイルやテーマが仕事に込められているのが当たり前になっている場合には、新しい事を試すとか、自分しかできないことをやるとか、自分の強味を生かすとか、スタイルに磨きをかけるとか、そういう一見平均的な(平均以下でも)プロが誰でも持っている・している事が、とてつもない下地と大量の経験と化け物として持つ諸々とによって成し遂げられるという、「独自の世界観」に入っているのではないでしょうか。
ある意味それは「個性的」ということで、化け物の話をしているのに個性とか、何か一般人が慰めや逃げ場に使いそうな言葉が出てきてしまうのがアレですが、並外れた練度を備えた人達が見せる個性というものは最早必然的にひとつの世界を構築してしまうものだとしても不思議ではないでしょう。既に只者ではないのですから。
これを逆算していくと、独自の世界観を描くところまで行くためには個性ではなくまず練度(スピード・技術・質・量・出来映え・目標設定・コンセプトデザイン・勤勉さ)が重要で、練度なき個性で卓越しようとしても無理というものでしょう。
それの裏を返せば、多少の個性さえあれば練度を上げるだけで独自の世界観を描くことは可能、ということになります。が、しかし、そこから先は世界観の精度や質、方向性から豊かさ、展開や幅広さなどが勝負どころとなる、化け物どもが血で血を洗う地獄か、数少ない化け物が孤独と寂寥にむせび泣きながら世界の果てを目指す哀しい高みか、そんなところだったりはたまた全然そうじゃなかったりするのかもしれません。
とりあえず、個性とか気にする手前に練度を上げるステップがあって、プロの水準が見えてきたり、実際プロになったりしても、その先に行かないと指名で仕事は来そうにないな、というところでしょうか。
現在の僕のケースでは、質と技術だけ妙に上げてしまって異常にバランスが悪いので全体的に底上げしようかな、って感じ。