新しい成熟、もしくは適者生存と欲求充足の現在的作法
前回はこちら。
社会成員として相応しい振る舞いを身につける事が成熟だとすれば、価値観の多様化した社会、変化の激しい現在で求められるそれは以前とは異なり、多様化に適応し、変化に対応出来る柔軟なものとなろう。
イメージは、軸となる中心と様々なオプションのバリエーション。または不変のフレームと状況に応じた付加。素早い変化で多様性・流動性に対処するコンセプトで永続する部分と可変の部分に分けて考えられる。
人間は欲望や欲求から逃れられない。マズローの欲求段階説(生理・安全・所属・承認・自己実現・自己超越)にしろ人間の三大欲求(食欲・睡眠欲・性欲)にしろ、またあるいは他者の欲望を欲望したり他者に欲望される事を欲望するにしろ、出来るだけ満たす事が重要だ。
生理・安全は「生存する適者」として重要で、更に所属・承認・自己実現を成し遂げて「拡大する力」を持つ為には「適切さ」と「効果性」が必須となる。
適者生存は「環境に対する適切さ」だが自己実現は「自らにとっての適切さ」である。「自己実現によって生存する適者」となるには相当な幸運が必要だろう。
永続するのは「価値観の多様化」「社会の急速な変化」「人間の欲求・欲望」であるから、これに適応するよう成熟の条件を組み上げる。キーは「効果性」。あらゆる条件に対して「効果があるか」で判定する。
安全確保に効果があるか、は特別重要で、適者生存と欲求の双方に関わり、これを失うと滅ぶ。その社会を滅ぼすような振る舞いは相応しいものとは言えない。
価値観の多様化した社会でも変化の激しい社会でも不変の軸をまず押さえ、場に応じてオプションを付加して対応する。今ある価値の多様化でも将来的な変化でも対応は同じだ。異なる部分に合わせて適切なものを用意するだけ。
全てが有機的に結合した重厚な思考回路やあらゆるケースを網羅した対応リストでは変化への対応が遅れ、効果が薄い。普遍的な部分と可変する限定的な部分とのユニットとして「現在的な成熟」という作法を捉える事。
現在にしろ将来にしろ多様化・変化のバリエーション毎のオプションは説明し切れず、個々の事例はケースバイケースなので、基本的には個々の欲望と適者生存を中心に「効果性」を追求していく。
生存する適者となり欲望を充足するには「目的を達成する力」がいる(「何を目的として定めるべきか」は多様なので除外)。この力があるかどうかは「効果性があるかどうか」と同じ。つまり目的を達成する為には効果性が必要で、以下に効果性を高める為の作法を記す。
何をするにも「人」「物」「金」「時間」「場所」を確認する事。いつやるのか、場所はあるのか、誰かの力を借りられるのか、必要な物は足りているのか、人や物に幾ら支払うのか、等々。
変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる寛容さと、その2つを見分ける知恵を持つ事。自分であっても、他人や社会であっても、変えられるものと変えられないものとがある。変えられないものを変えようとせず、変えられるものを変えて効果を上げるようにする事。
ビジネス書やアメリカの成功哲学等に書いてあるような事ではあるものの、単純かつ基礎的であるが故に効果が高く、応用が効く。汎用性が高いもの程変化に強く、一度身に付ければ変化によっても効果が持続する為有効性はより高くなる(要するに普遍的なもの程身に付ける価値が高まっている)。裏を返せば、多様化や変化によって効果のなくなる方法や姿勢は相対的に価値が下がっている。
時間や労力は有限だ。社会成員として目標を達成し続ける為には何が効果的か、それが自らの身の安全さえ左右するかもしれない。
と言ったところで、まずは自分自身の欲望の種類、欲求の満たされ具合を確認し、今後どれをより多く満たしたいのか、方針を定める事になるだろう(それは満たされないかもしれない{変えられないものは受け入れるしかない……})。多様な価値観の社会の中で、どこならばそれが満たせるだろうか(それは見つかるのだろうか)。何より、ともかく生き残る事が出来るのだろうか……。
より生存しやすい適者、よりよい社会を実現しやすい社会成員、そうした存在とその作法は、かつての成熟モデルとして成立し得た要因だろう(権力者に都合の悪い反権力性の排除等もあったかもしれないが……)。
そうであるならば、個々の欲望や価値の多様化を越えて共有され得る「効果性」という軸は、新しい成熟の条件となる可能性を秘めていると考えられるのではないか。
無論、効果性無き者は変化の中で生存出来ずに淘汰されていくとして、生存した適者たる社会成員の中から新たな成熟の条件が見出されていくとすれば、まずは「生存する適者たる条件」になるのだろう。
あるいはそれは最終的に、よりよく生きる為の人生哲学としてまとめられるのだろうか。