中級者向け 物語構造のパート別組み合わせバリエーション「調達」「出発」「救援」(おまけ付き) クリエイターの為の批評コラム
前回はこちら。
さて、物語らしさをどうやって演出するかの具体的演習の為のこのコラム、今回も「調達」から始めます。
「調達」では何か物語の進行上必要なキーアイテムなどが手に入りますが、これにドラマを感じる構造「逆行する感じ」を加えるとどうなるか。キーアイテムが「役に立たない」「実は使い方が違った(使い所が違った・本当に役立たずだった{勘違いや見込み違い、情報不足などが原因かも})」「思ったような効果ではなかった」が1つのパターン。「役立ったけども」「引き換えに酷い目に遭った」「とんでもない事になった」などが別のパターン。あらゆる構造ユニット同様、とりあえずスムーズに行かないか、スムーズな時は裏がある展開にすると物語らしくなります。
ストーリーの構成というものは段階的なもので、つまり順序があります。「逆行する感じ」にしろ「虚偽の認識」→「真相の解明」にしろ、2つが同時に現れるのではなくどちらかが先でもう一方が後になります。この前後のあり方、間隔の空け方まで含めてコントロールするのがプロットです。
「逆行する感じ」というのはそもそも、追う者と追われる者が一端逆の立場になり、また元に戻る、という例が挙げられているのですが、シクロフスキーが挙げているその例題にはまるでキャラクター性がなく、展開も大して面白い物ではありません。でも何か納得してしまう。それが凄い所なんですね。それを物語として「アリ」にしてしまう最低限の、しかし決定的な要因がそこにある(でなければ納得はできませんよ、大して面白くもないのに)。
「虚偽の認識」→「真相の解明」の場合、それによって「完結性」が得られるとあります。このケース、シクロフスキーが用意した例題が笑い話で、どう見ても「フリ」と「オチ」の関係なんです。「ボケ」と「ツッコミ」、「間違い」と「注意・正す」と言い換えてもいい。まあ、状況的に誤解しても仕方のない物ではあるんですけれど、読み手にもまず「誤解」を与える事、その後に「正解」を見せる事、この順番が大切かと思います。
こうしてみると、「虚偽の認識」→「真相の解明」は「誤解」を利用して「逆行する感じ」を生み出しているとも言えそうですね。シクロフスキーは全然物語らしくない物として、スムーズに説明され筋は通っているが単に説明でしかないという例も挙げていて、そこには全く意外性がない、「そりゃ普通そうなるわな」という事ばかりが語られています。やはり効果的なのは「誤解」させて「逆転」を生み出し「認識の裏を突く」物であって、ただただ筋が通るだけの滑らかな説明ではないのでしょう。
「調達」はそれがワンシーンとなるようなシークエンスを発生させるモチーフでありユニットですが、単発で同様のユニットと言えるのは「出発」「救援」でしょうか。
「出発」あるいは「境界侵犯」「越境」。これらは「ここからはこれまでと違う」と覚悟や目的を確認したり、本当に違う事を証明するような出来事が起こったりします。これが先にあると「フリ」になるのですが、物語の途中から語り始めて回想として挟むプロットにする事で、先に描いた「オチ」をそうと気付かせる「後出しのフリ」に出来ますね。終わり近くになって時系列的にはかなり早い時期での出来事が明かされ、認識が逆転するようなプロット構成も1つのパターンです。「いきなり捕まってる」→(回想)「この辺りは治安が悪いらしいから……(悪人に囲まれる)」(回想終わり)→「……まさかいきなり捕まるとは」。
「境界侵犯」「越境」も共に、これまでの舞台とこれからの状況や事情の事前説明をするシークエンスで、それに応じて、あるいは遮って「早速おいでなすった」みたいな展開にするとスピード感が出ます。説明はドラマを停滞させかねないので途中で遮ってしまっても構いません(それを逆手に取って「あれ、言ってなかったっけ?」という感じで「誤解」を仕掛けておく事もできます)。応用やマンネリ回避策として、「説明中なのに何故か何も起こらない」というパターン破りという意味での意外性、「逆行」の手段もありますが、これは当然「フリ」として「早速おいでなすった」を数回やっておく必要があるでしょう。
「救援」は基本的に受け手に知らされていない事が前提で、サプライズ狙いです(「わかってた」という「逆行」もありますが)。「越境」したばかりでピンチに陥った主人公達を救ってくれる、治安や主義、善意などで動いている人達が現れるとかそういうシークエンスです。見知った既存のキャラクターの場合もあれば、見知らぬ新キャラの時もあり、主人公を裏切る時もあれば、裏切ったように見せかけて後で助けてくれる事もある、「何かしらそういう事があってもおかしくない」と受け手に思わせる「伏線」があって機能するユニット。終盤になっていきなり何の前触れもなく神が現われてベストな解決策を提示しみんなそれに従ってハッピーエンドになるのは「デウス・エクス・マキナ」。クライマックスで「待たせたな!」と仲間が現れたり、ハリウッド映画で粘りに粘ってギリギリになったところで「騎兵隊」が登場するなど、使うタイミングと性質をマッチさせる事に配慮を要するユニットですね。
「救援」に組み合わせる「逆行」としては、「呼ぼうとしたが届いたかわからない」→「届いていた!」、「こんな状況で来るはずがない」→「来た!」、「自分達だけで余裕」→「いらない救援が余計な事を!」などでしょうか。あるいは逆に「自分達が救援する側に」というパターンも使えますね。「出発」でもそうですが、関係するはずの「それまでに何があったのか」を描くか、考えておくかする事が重要です。流れ、展開が面白味を味わわせ、作品の印象はプロット次第で変わります(推理物が読者に「誤解」「虚偽の認識」を与える為に何をしているか想像してみてください)。
構成する事、構想を練る事は、魅力的な作品作りの為にこそ行われるべきです。
・おまけ 「物語の構造から物語を作っても面白くならない」と思われてきたのは何故か
基本的に、ロシアの魔法民話の構造を使えばロシアの魔法民話のような物語が出来、神話の構造を使えば神話のような物語が出来、それらが現代日本でウケるかどうかはまた別。その時代、その場所でウケる為にはその時代と場所でのウケる物語の構造を使うべき、という認識を僕は持っていますが、ロシアの魔法民話にしろ神話にしろ構造の部分部分は現代日本でウケている物語にも見られるもので、むしろウケない原因は構造ではなく「構造をどう演出するか」にあるのではないか、という観念が明確になりつつあります(このシリーズを書き始めた時はそこまではっきりと意識していませんでした)。
演出は構造の上にある、だから構造からプロットを考えても面白い物語のディテールは描けないし、印象的なワンシーンから「こういう演出が欲しいな」と発想する作劇法と構造の間には距離がある。望む・欲しい演出が「どの構造の上でならやれるか」、ある構造・プロットを「どう演出するとディテールが面白くなるか」。その点を解決する為のツールが「『逆行する感じ』による構造と演出の接続」「キャラクター性の確立(『葛藤』、性格や動機、倫理観など。『逆行』の埋め込み)」という考え方になるのではないかなぁと。
とりあえず、プロップの示した「物語の構造」と、シクロフスキーの示した「物語らしさを感じさせるもの」はそれぞれ異なり、すんなり行かなくするだけで思いの外面白くなるという意外な結果が出つつあるのではないかな、という感触が僕にはあるのですが、いかがでしょうか。
暫定的な仮説としては、「『物語の構造』ユニットを使ったプロットである事は『面白い物語』の必要条件。その構造が『物語らしさを感じさせるもの』で効果的に演出されている事が『面白い物語』の十分条件」という所です(各ユニットの演出の仕方と与える印象のトータルコーディネイトがどうか、などの詳細な基準はあるでしょうが)。
続きます。
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