すべてはいのちの現れ。
最近、リハビリをしていく上での視点を「問題点を見つけて改善する」という方向から、「その人の中のいのちの働きに寄り添う」という方向に変えている。
すると、どんな痛みにも歪みにも悪気なんてさらさらなく、ご主人を最善の策で生かそうとしてきたのが見えてくる。
じゃあ、この痛みや動きにくさは何んなのか?というと、ちょっとした誤作動を起こしていたり、ご主人に気がついて欲しいことがある現れだったりする。
身体がどんなことを話しているのかゆっくり寄り添いきいてみる。それが大事なんだと思うこの頃。
そこから変化はやってくる。
歪んだ背骨も、
もう大丈夫。と気がつけばゆるみを取り戻す。全身が呼吸をしだす。
身体が緩むと心も緩む。
こんなこと初めて話すんだけどね…
と幼い頃に怖かったことの話や、気にかかっている家族のことを話される方が多くなった。
すると、また身体も変わっていく。
良い悪いで判断すると、その視点が人の中に悪い部分をつくってしまう。この動かない足が悪い。これをどうにかしなきゃ。悪者を捕まえては、ギシギシと強制ギプスにはめるようなことをしてしまう。
自然の声を無視して人間がどうにかしなきゃと操作するところには、せっかくの自然の治癒力や働き、形成力を歪めてしまうところがあるように思う。
何かをしなきゃと先走りがちな私の頭をどうどうと引き留め、まず聴く。受け入れる。身体や心という自然の声を聴いて、どう付き合っていったらいいか?たくさんのことを身体から学んでいるこの頃です。
全てはいのちのあらわれ。
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