考える習慣をつけること。考えるチカラを身につけること。
頭で考えてばかりではダメだ、と言われることもあるけれど
わたしは逆に、いろんな面で
考えなさすぎるなぁ、と思うことが多い。
写真が上手なひとって
撮るときも、見るときも、
構図から光の入りかた、写真に写る色の組み合わせ、
どこをどう切り取るか、どこをどう写すかを考えて、
その写真をどう見せるのか、どう見えるのか ちゃんと考えているんですよね。
家族の日常を撮るには、
そういう考えて撮るよりも、きっと良いなと思った写真を撮るのが良いのかな、と思うところもあるのだけれど
家族以外を撮る時も、わたしは考えずに
「なんとなく良いと思ったから」の、その感覚だけで撮っていることが多い。
写真に限らずとも、
ひとつひとつの物事に対して、
「これはどう考えるのか」という作業を
今までの人生、すごく怠ってきたように思う。
起こり得る事象が全て必然かのように、
疑問を抱かずに「そうなのね」と受け止めてきたことも多いし、
例えば映画や本なんかを見ても、読んでも、
感想は「楽しかったね」「面白かったね」の一言で終わる。
と言っても、今までは
そうやって感想を誰かに伝える場面もなかったから、別段困ってこなかったんだけれど。
「ここの場面が〇〇で、ここがこうだから、わたしはこう思う」なんていう具体的な感想を言ったりする機会でもなければ、ほぼ考えてもない。
ただ、ここに来て
わたしってひとつひとつの物事に対する考えが「浅いなー」と思うことが多い。
わたしにすれば、まずそれに気づけただけでもとても進歩なんだけれど
多分、子育てにしても、写真にしても
何もかも、考えがなさすぎる。
自分で考えるチカラのあるひとって
どういう環境で育ってきたのだろう。
わたし自身、考える力を身につけたいと思うのはもちろんなんたけど
そもそも、映画や本などの、人の作品に対する感想にしても
自分の中でとてつもなく、
「間違えたこと言ってないかな」「解釈合ってるかな」がすごいあるんですよね。
感想なんだから、間違いも何も
自分の感想で良いんだよって言われればそうなんだけれど、
どこかで
「人と同じだと安心」
「間違っていたら嫌だ、恥ずかしい」の想いが強烈にある。
この気持ちが、思考を停止させてしまっているような気がするのだ。
もちろん、考える習慣がない原因は
それだけではないと思うから
どういう環境で育ったら、考える習慣がつくのだろう、と思ったりもしている。
わたし自身がこんなだけど
やっぱり、こどもたちには
自分で考えるチカラ、考える習慣を 身につけてほしいな、と思うから。
わたし自身も考える習慣をつけるために、
日々、何かひとつでも向き合って考えるようにしてみようと思う。
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