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ネット上の批判と共感

6年前に2冊目(単著としては初)の本「アトピーの夫と暮らしています」(PHP研究所)を出版した時に、先輩の売れっ子作家H氏からからこう言われた。

「自分の本のAmazonのレビュー、読まない方がいいですよ。読んで書けなくなって筆折った作家、大勢いますから」

(どーでもいいけど、先輩なのに敬語なのは、H氏の方が私よりだいぶ若いから)

ここでは「レビュー」を取り上げるけれど、もっと一般的に「ネット上の批判」という事で読み替えて読んでいただいても構わない。(「ネット上の批判」だと長いので、本文内では「レビュー」で統一する)


レビューを読むか読まないか

同じ頃に本を出した友人は、担当編集さんに「レビューを読むこと禁止令」が出たそうだ。理由は上に同じ。

悪いレビューを読んでその後の創作活動に支障が出れば、せっかく本自体が好評でも次作が出せなくなる可能性がある。出版社としてはそれは避けたいところだろう。

私の担当編集Tさんは、読むこと自体は禁止しなかった。止めたところで私は絶対に読むに違いないと見破られていたのかもしれない。

その代わりこうおっしゃった。
「悪いレビューがついても気にしなくていいですよ。悪くてもレビューが付くのは『読まれてる証拠』なんですから」

なるほど。

Tさんの言わんとすることは、こういうことだ。「無視されるよりマシ」。

確かに、読んでもいない本のレビューは書けない。ただ、注目を浴びている作家の足を引っ張ろうとする輩が、意図的に読まずに書くことはあるだろう。いずれにせよ、レビューが付くという事は、注目されていることのバロメーターなのだ。

本を買うときに、Amazonのレビューを参考にしようとすることは私も多いけれど、悲しいのは悪いレビューがついている本より、レビューが1個も付いていない本

この本を読んで誰一人として「レビューを書きたい」と思うほど心を動かされなかったんだろうか?と考えると、胸の奥がずんと重くなる。本を1冊書き上げるまでの大変な苦労を知っているだけに。

(もちろん、本の内容によってはレビューを書きづらいものもあり、レビューがない=一概に人気がない、注目されていない、とは言えません

そんなわけで、H氏とTさんの言葉を胸に刻みつつ、本は無事出版され、お陰さまでたくさんのレビューをいただいた。


批判には2種類ある


レビューのほとんどは共感したという好意的なもので、最初の頃はレビューを読むたび舞い上がったし楽しみだった。しかし、レビューが増えていくと、悪い評価もつくようになった。

私はどちらかと言えばメンタルは強くない。人に言われた否定的な言葉が何年も忘れられなかったりするヘタレである。

でもなぜか、自著のレビューに関しては、悪いレビューも普通に受け入れられ、むしろレビューを読むと元気になる。仕事でしんどい時、Amazonを開いて自著のレビューを読んて励まされているほど。

なんでなんだろう?と考えてみて、一応結論らしきものが出た。

批判的なレビューには2種類ある。

その作品自体への批判と、作品以外の部分での批判

たとえば「この漫画おもしろくない」というのは作品自体への批判だけど、「この漫画家かわいくないから、この漫画好きじゃない」というのは作品への批判ではない

作品自体への批判は気にかけるべきだが、作品以外の部分への批判は気にしなくてよいと思う。漫画家はおもしろいマンガを描けばよいのであって、見た目をとやかく言われる筋合いはない。

(かわいくないと言われるのは、それはそれで悲しいけど)

実際にSNSには、そんな理不尽な批判(というか悪口)がうごめいているのだろう。


レビュー内容を見極める

私の場合、本のテーマが「アトピー」という「医療もの」であるだけに、ちょっと特殊なケースなのだ。

アトピーに関しては、明確な治療法が確立されておらず、旧来の治療法であるステロイドの是非をめぐって医師の間でも対立構造ができている。

なので、そこは編集さんがすごく神経をとがらせて、決してほかの治療法を批判するようなことは書かないようにという点は徹底された。

「私たちの取り入れた治療法」に対する批判はそこそこあるけれど、本自体が「おもしろくない」という批判がないことが、私が傷つかなかった理由なのだと思う。

読んで★5をつけてくれた人の中にも、私たちの感情には共感できても、治療法には疑問や違和感を持つ人もいる。それでもあえて「この本は治療法を参考にするというよりは、感情面で患者やその家族に寄り添う本」だという評価をいただけた。

そう感じてもらえたのは本当に心からうれしい。

気になったのが「医師の指示を仰がずに勝手に治療しちゃダメ。」という意見。

これに関しては、はっきりと否定しておく。

我々が医師の指示を仰がなかったのは、夫が元の主治医の治療法に疑問を持って次の医者にかかるまでのほんの2~3ヶ月程度のこと、時期にして2011年1月から3~4月までの間のことだ。その後は継続して医者にかかり、この本を出した2015年当時も、夫は主治医の病院に通っていた。

そもそもこの本は、先生の都合で監修者に名前こそ連ねていないが、名古屋市内の夫の主治医Y先生に監修をしていただいている。巻末には先生へのQ&Aコーナーまであるのだ。

それなのにこういうことを書く人は、正直「ちゃんと読んでない」としか思えない。下手すればパラパラと最初の部分を立ち読みしただけで、このレビューを書いてるんじゃないかとすら思える。

そんな人の言う事を気にしても仕方がない、と割り切れるかどうか。私は割り切れるタイプなのだと思う。

そんな私でも、書かれた内容によっては、筆を折りたくなるかもしれない。それだけ批判とは恐ろしいものなのだ。


気になるから意地悪したくなる


人の感情は複雑で、一筋縄ではいかないものだ。

自分自身にも思い当たるけれど、周りに「存在自体が気にならない人」っているだろう。好きでも嫌いでもない、はっきり言ってしまえば「どーでもいい」存在の人。

そういう人のことは、すごく好きにならない代わりに、すごく嫌いにもならない。悪口を言う気にもならない。そういうものではないか。

逆にいえば、今すごく好きな人のことは、明日すごく嫌いになるかもしれない。大好きだった恋人が別れた途端に憎い人になってしまうように。

存在が気にならなかった人でも、急に注目されたりすると面白くなくなったりする。

スキや嫌いなんて、本当にあやふやで日々揺らぐものだ。


そういう中で、その日々移ろう「スキ」を頼りに自分の芸を売るのが作家やアーティストやタレントなどである。

本を出すような作家やメディアに登場するような著名人にとって、嫌われる以上に「どーでもいい」と思われるのが一番キツイ

だからと言って「悪く言われるのは人気者の証拠」なんて言葉をどれだけ言われても、毎日「死ね」と書かれたメールが届けば、じわじわメンタルは蝕まれて行く。

でもさ、会ったこともない相手に「死ね」としか言えないなんて、ホント語彙が貧困すぎるよ。

これはその人の頭のレベルの問題というより、本人ですら、理屈立てて嫌いな理由を言えないのかもしれない。「嫌い」に理由なんていらないんだよね。

それ以前に嫌いですらないのかもしれない。ただ目立っているのが気に入らないだけ、ただ自分の現状が不満で憂さ晴らししたいだけ。

注目されるほどファンは増えるけれど、同時にアンチも増える。これはもう絶対に抗えない法則なのだ。

華やかに見える芸能人も、みんな悩んでる。

そう思えれば、無駄に彼らを羨むこともなくなり、炎上の結果、筆だけでなく命を絶つような悲しい出来事もなくなるのではないか、と思うのだ。


紙の本は既に中古しかありません。スゲー価格。。。

コチラが新刊。まだレビュー少な目です。


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