痛々しさとは、求められていないストーリーを語ること
フリーライター&イラストレーターの陽菜ひよ子です。
わたしはライターなので、仕事で文章を書きます。ただ、仕事には幅があり、まさに「ライター」のときと「コラムニスト」「エッセイスト」と呼ばれるときがあります。違いは「主観が入るか入らないか」。
客観的な順にライター < コラムニスト < エッセイスト。エッセイとは主観のカタマリだと個人的には思います。
久しぶりのnoteで調子に乗ってる?わたし
仕事では主にインタビューをするので、「主観をまじえる」ことはあっても「自分語り」はしません。
なので、久しぶりにnoteを書いてみてホッとしました。結構自分語りをしているのに、こんなに受け入れてもらえるんだ!と。データやソースなどなしに、ただ自分の経験だけで受け入れてもらえるって、仕事だとなかなかありません。
そんな牧歌的な中でnoteを書いていても「もしかして、今の自分って痛い人?」とドキドキした経験を持つ人も、もしかしたらいるのではないでしょうか。
私はよくあります。最近noteに書いたことも「もしかして痛かったんじゃ」と思うことなどはしょっちゅうです。公開して後悔(なんちて、くす)は「書き手」に付きまとうもの、なのかもしれません。
でも、同じように熱弁をふるっても「痛い」と「そうでもない」と感じるときはあるのはなぜなんでしょう。
考えた結果、「求められていないストーリーを語りすぎる」と、人は「痛い」とみられるのだという結論になりました。
痛々しくなりやすいテーマほど人気があるという矛盾
人の書いたものを読んでいて「誰だよ、おまえ」と思うことってありますよね?まさにそれです。モノを書くって「何を書く」以上に「誰が書く」かが大事です。
その分野で結果を出した人や著名人であれば、書いたものがスッと受け入れられますが、そうじゃないと「この人は、どんな権利があって語っているのだ?」と思われてしまいがちです。
なので、自分がさほど詳しくない・世間に認められていない分野について書くときには、予防線として「私見ではありますが」「勝手に語ってみます」などの前置きをすることをオススメします。
と同時に、もう一つの事実にも行き当たりました。「自分の恋愛話をするとき、人はどうしても痛くなる」ということ。
わたしもここnoteでよく「離婚・再婚話」を披露しますが、書いてから「こんなの誰に求められているのだろう?」と考えます。でもね、「結婚ネタ」ってこのnoteでものすごく読まれているんですよ!
以下、2023年9月17日時点でのわたしのnoteデータのすべてです。
黄緑で囲ったのが「結婚ネタ」。
1位・3位・6位・8位の恋愛ネタじゃないものはすべて「編集部のオススメ」や「今日の注目記事」に選ばれたもの。赤で囲った8位は、まだ9月に入ってから「今日の注目記事」に選ばれたものです。
「結婚記事」、PVの割に「スキ」が少ないですよね。
6位にランクインしたインタビューの際に林伸次さんに、「読まれているけど『スキ』は少ないんです」とわたしが言うと、やさしい林さんは「それはnote外の人から読まれているってことで、喜ぶべきです」といってくださいました。
そんなわけで、理由としては「おもしろくない」「痛い」以外に
などが考えられるかもしれません。
とはいえ、何者でもない人間が結婚を語って許されるのは「圧倒的な納得感」だと感じます。「自分語り」はほどほどに、「なるほど」とハラオチしてもらえるものを書いて行けたらと思います。
こんにちは、熟成下書き
本日の記事も熟成下書きでした。2年半も寝かせていただけあり、香ばしい感じに仕上がっております。
9/25(月)先週、特にスキを集めた記事(#熟成下書き)に選んでいただけました!