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大人こそ道徳の授業が必要かもしれないし、道徳を知っていて無視する人間がいる世界に生きているという話

多くの人にとって「当たり前」とされている、挨拶をすることやごみをごみ箱に捨てるといった当たり前の行為ができていない人がいるということを実際に見聞きしたり、相談されたりすると、企業研修内で「道徳」を取りあげた方がいいのだろうか、と考えさせられることがあります。


反面、私が接している多くの人が「大人」であり、その人生経験、自分が会社以外で築いてきたコミュニティでの考え、得てきた知識から、多くの人が「当たり前」と思うことに反する方が好ましいと思っている人もいるわけで、企業研修内で道徳を取り上げたところで、響かない人には響かないのも事実です。


そういったことから、組織内ではある程度の秩序を維持するために、社内規定やルールが設けられているのですが、会社と従業員の関係上、従業員側に有利な内容が多いと思われるところ、本当に被害を受けている人が救われず、周囲に迷惑をかける人に対して罰則などを与えにくい環境に陥ることもあるわけです。

お酒やたばこは成人してから経験することが当たり前であるという考えのコミュニティと、未成年のうちからお酒やたばこを経験した方がかっこいいという考えのコミュニティがある場合、お酒やたばこは成人してから経験することが当たり前であるという考えの人が後者のコミュニティに迷い込んでしまうと「ださい。」、「かっこ悪い。」などのレッテルを貼られて、自分の当たり前と思っていた概念が崩されていく環境になってしまうわけで、そもそも「当たり前」という概念自体が実は揺らいでいるという知識は頭の片隅に置いておいた方が柔軟な考えができるようになり、自身のストレス軽減にも役立つかと思います。


挨拶しない人やごみをごみ箱に捨てない人は、のほほんとその行為を行っているのかもしれないのに、「挨拶はしなきゃだめ。」、「ごみはごみ箱に捨てるべきだ。」といった固定観念を持っている方の人が、「なんであいつは当たり前のことができないんだ。」とイライラしてしまうわけで、なんだか損を被っているようにみえるわけです。

また、当たり前のことをあえてしようとしない人の中には、他人からは分からないような不幸を抱えており、周囲が自分より幸せそうに見えるから、周りにも自分と同じような不幸を経験してほしいことから、あえて嫌がらせなどして苦痛を与えて、自分と同じ不幸の世界に巻き込もうとするタイプもいます。

そんなわけで、わざわざ他人の態度や言動に影響される必要はないのです。


話は少しずれますが、私は(今ではだいぶましになりましたが)、できるだけ人間と関わりたくないと思って生きてきており、高い美容液や自分の好きな服を着たいという欲求はあることから、収入を得るために人間と関わるといった形で、ほとんどの人間との関わり=仕事というカテゴリだったりします。そういった考えなので、人間や人間同士の関わりを知るために、人間の心理の本や脳の本を読んだり、動画を見たり、産業カウンセラーやハラスメント防止コンサルタントの資格取得をしてきた面もあります。

『本当の自分がわかる心理学 著シュテファニー・シュタール』によると、人間には「人と繋がりたい、属したい、関わりたい」という欲求、すなわち「結びつき欲求」といった基本的欲求が備わっているとのことです。

その欲求について、最近になって気づいたことがありました。

「美味しい食べ物を食べたとき、大好きな人にも食べてほしいと思ったり、一緒に食べたいと思うことがありました。

街中で家族と歩いているときに笑えるハプニングがあり、家族と大笑いしました。

もしかしたら、他人は、幸せや喜びを共有し、味わうために存在しているのかもしれない。」


人間に結びつきの欲求が備わっているのであれば、その結びつきは不幸で結ばれるものでなく、幸せで結ばれるものであった方が皆幸せなのではないでしょうか。

そして、私も幸せ、相手も幸せな状態になるためのヒントとして道徳やルールがあるものだと考えております。

だから、ルール違反を推奨するわけではありませんが、道徳やルールは印籠として掲げるものではなく、多くの人が幸せになるためにあるもので、逆に「当たり前」にとらわれて自分が不幸になるのは、そもそもの「自分の幸せ」を見失ってしまう可能性もあるわけです。


会社内などであれば、社内規則違反やその他の社内規則にも記載されないような問題行為をしている人がいるとするのであれば、誰かがまずは助言や注意を行い、それでも行為がやまないのであれば、指導できる人が粛々と指導し、指導記録などを淡々と積み上げていくことになるかと思います。

しかし、指導できる立場の人が粛々と指導しない場合、もしかしたらそれは、自分だけが「当たり前」と思っているルールや秩序であり、他人の行為を他者より自分が大きく問題視している可能性もあるという視野は持っておくといいかもしれません。
※ここで、他人に『貴方もそう思うよね』と同意を取りに行ったところで、面倒だから『うん。』と返答したり、同意した人は、同じことは思うけど、そこまで問題視していなかったパターンを何回も見聞きしてきました。

視野の狭い人より視野の広い人の方が幸せであるといった研究結果もあるので、日々自分が苦しまないためにも、できるだけ広い視野を手に入れることも、道徳を知っていて無視する人間がいる世界に生きている私たちには必要なことなのだろうと思います。(他人に影響を与えることはできるが、他人をコントロールすることはできないのですから)。


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