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43「卑弥呼」to「日本書記」to「古事記」!!
「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」、「臺興・天豊津媛命」説!! 卑弥呼ファン集まれ!! 「卑弥呼」はここだー!! 〇卑弥呼の父(埴岡寂諦) sakurako_saku・・・・、 左横〇をクリックすると全体表示となります。次に写真をクリックで全文表示。
「サウダーデ」
『父の旅 私の旅』(1987年)は、亡父・新田次郎の絶筆となった未完の小説『孤愁 サウダーデ』の主人公モラエスの故郷であるポルトガルを、一人レンタカーを駆って一周する紀行文である。これは、先年亡くなった亡父が、その取材旅行で訪れた時に残した詳細なメモ等を元に、藤原正彦が同じコースを辿り、同じ人に会おうとしたものである。その中で、ポルトガル人にとっての「サウダーデ」の意味を問い続け、自らにとっての「サウダーデ(郷愁)」を求めようとするものでもある。2012年には正彦が執筆した『孤愁 サウダーデ』の続編を併せた小説が出版された。
インドで見つけた美
二月の夕暮れと言っても気温は三十度以上。歩道は足の踏み場に気をつかうほどの不潔。道路では車やバイク、リクシャー(自転車の引く入力車)が恐ろしい騒音と埃の中でレースを展開中。その間を縫うように牛、イヌ、山羊が道路を横切る。排気ガス規制はないのか、空気を吸うのがつらいくらい。至る所に浮浪者がごろごろしている。「いやはや、大変なところに来てしまった」と、十分もたたないうちにほうほうの体でホテルに逃げ帰りました。クタクタでした。
どこにも美しいものがない。困りました。「数学では美的情緒がもっとも大切」「若い時に美に触れることは決定的に重要」などと言ったり書いたりしていながら 、あれほど美しい公式を、インドの地で三千五百以上も発見したラマヌジャンにはあてはまらないことになる。彼は二十代の前半をマドラスで過ごしているのです。私の説に対する余りにも劇的な反例です。
それがずっと頭を離れませんでした。
数年後に、覚悟を固めて二度目の訪印をしました 。最初の訪問の時は、度肝を抜かれて逃げ帰ったような状態で、ラマヌジャンの故郷までは行かなかったのです。
マドラスから南へ二百数十キロ、運転手を雇い六、七時間もかけてガタゴト走り、ラマヌジャンが育ったクンバコナムという田舎町に着きました。びっくりしました。その周辺に、 恐ろしく美しい寺院がいくつもあるのです。寒村にまでとてつもなく象壮な美しい寺院がある。
数学の定理と壮麗な寺院
聞いてみると、九世紀から十三世紀にかけて、このあたりにはチョーラ王朝というのがあって、この富裕な王朝の歴代の王様たちがかなり変わっていて、金に糸目を付けずに、競うように美しい寺院を造りまくったのです。
クンバコナム近くのタンジャブールで見たブリハデイシュワラ寺院は、本当に息を呑むほどに壮麗でした。この寺院を見た時、私は直感的にこう思いました。「あっ、ラマヌジャンの公式のような美しさだ」と。
ラマヌジャンは「我々の百倍頭が良い」というタイプの天才ではありません。「なぜそんなことを思いつくのか見当もつかない」というタイプの天才なのです。
アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくても二年以内に誰かが発見しただろうと言われています。数学や自然科学の発見の殆どすべてには、ある種の必然性が感じられます。ところがラマヌジャンの公式群は、圧倒的に美しいのに、必然性がまるで分からないのです。
高卒だったラマヌジャンは、「夢の中で女神ナーマギリが教えてくれる」と言って、 次々に定理や公式を発見しました。ついにはケンブリッジ大学に招かれ、第一次大戦下のイギリスでいくつもの画期的論文を発表しました。招聘してくれたハーディー教授の研究室に、毎朝半ダースの新しい定理を持参したと言われます。不愉快な人です。
高等教育を受けていない彼は、定理を「証明する」ことに興味がありませんでした。彼の死後 、異様に美しい定理が証明されないままたくさん残されました。多くの数学者がその後、ラマヌジャンの定理の証明に取り組みましたが、南インドにいた頃、すなわち二十六歳の時までに発見した定理の証明がやっと完成したのは、一九九七年のことで、五巻本として出版されました。このクンバヨナムの周辺からは、ラマヌジャン以外にも天才が出ています 。二十世紀最大の天体物理学者と言われ、ノーベル賞ももらったチャンドラセカールや、「ラマン効果」で知られる物理学者でやはりノーベル賞受賞者でもあるラマンもこの辺りです。
三人とも半径三十キロの円に入るくらいの小さな地域の出身です。近代になって、イン ドの他の地方からこの二人の誰かに匹敵するような数学者や科学者は一人も出ていませ ん。天才の出る地には明らかな偏りがあるのです。
その土地に存在する美が、天才と深い関係にあるのは間違いないと思います。この半径三十キロの円は、天才を生む土壌を考える際の、決定的とも言える舞台と思うのです。
藤原正彦「国家の品格」P166より
そうなんですよねー。福崎町の文化センター開設20周年記念事業の中での記念講演会で、第253台天台座主山田恵諦大僧正も「心豊かに生き生きと」の中でも同じようなことを語られていますよねー。
その土地の「綺麗な環境」が、人を育てているのです。
そのような「環境」から「卑弥呼」も出るべくして出てきているのです。よねー。!!
「卑弥呼」ファン集まれー!!(3) 「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」、 「臺興・天豊津媛命」説を見てくださいね―。!!
風 が 吹 け ば 桶 屋 は 儲 か る の か ?
現 実 に お い て は 真 っ 白 も 真 っ 黒 も な く 、 す べ て は 灰 色 で 、 そ こ に 濃 淡 が あ る だ け で す 。「風 が 吹 け ば 桶 屋 は 儲 か る」という諺がありますが、この場合はどうでしょうか。 風が吹けば埃が立つ。埃が立つと目を患う人が多くなる。すると目が見えない人が多くなる。目 が 見 え な く な っ た 人 の 中 か ら 三 味 線 弾 き が 出 る 。 三 味 線 弾 き が 多 く な る と 三 味 線 の 需 要 が 増 え る 。 三 味 線 の 皮 は 猫 の も の な の で 猫 の 需 要 が 増 え る 。 町 か ら 猫 が 少 な く な る 。 するとネズミが増える。増えたネズミは風呂桶をかじる。だから桶屋が儲かる・・・・。 ちゃんとした理論です。
藤原正彦「国家の品格」P57より
このように「卑弥呼」から「阿遅須伎高日子根命神」までたどり着くまでには、様々な紆余曲折の中からの存在があるのですよねー。
「卑弥呼」ファン集まれー!!(3) 「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」、 「臺興・天豊津媛命」説を見てくださいね―。!!